長坂郷(読み)ながさかごう

日本歴史地名大系 「長坂郷」の解説

長坂郷
ながさかごう

長坂上条ながさかかみじよう・長坂下条一帯に比定される。永禄四年(一五六一)の番帳に「なか坂の禰宜」がみえ、これは長坂上条の諏訪明神(現穂見諏訪十五所神社)神職をさすとみられる。「武田家日坏帳」には元亀二年(一五七一)一一月二〇日供養の「逸見庄長坂郷住人」小林雅楽丞の名がみえる。これより前、「高白斎記」天文一九年(一五五〇)八月五日条に「長坂出陣」とある。これはあるいは武田氏家臣の長坂釣閑斎(長閑斎、左衛門尉)もしくはその一族をさすとも考えられる。釣閑斎は「甲陽軍鑑」によれば騎馬四〇騎・足軽四〇人を従えた足軽大将であった。武田信玄の時代には外交にたずさわり、勝頼の代には重臣となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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