日本歴史地名大系 「長尾名村」の解説
長尾名村
ながおみようむら
[現在地名]長尾町名
寛永国絵図では長尾庄に含まれ、寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では長尾東村・長尾西村とともに長尾村とされている。村高は寛政七年(一七九五)七〇三石余で(川田文書)、以後大きな変化はない。年貢は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
寛永国絵図では長尾庄に含まれ、寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では長尾東村・長尾西村とともに長尾村とされている。村高は寛政七年(一七九五)七〇三石余で(川田文書)、以後大きな変化はない。年貢は
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その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...