日本歴史地名大系 「長尾庄」の解説
長尾庄
ながおのしよう
「和名抄」
観応二年(一三五一)一一月二日の足利義詮書状(三宝院文書)で両法華堂の別当職が三宝院門跡へ安堵され、翌三年四月一三日には、長尾右衛門尉保守が当庄所務を年貢三〇〇貫文で請負っている。長尾氏はおそらく当地の武士であろう。なおこのときの請文(同文書)には「讃岐国東長尾庄」と表記しているが、これは
長尾庄
ながおのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報