朝日日本歴史人物事典 「長尾重喬」の解説
長尾重喬
生年:文化13(1816)
農事改良家。尾張国(愛知県)知多郡緒川村に生まれ,海西郡大宝新田の地主長尾重教の養子となり治右衛門を襲名。浜方年寄役,大宝・重宝新田の庄屋を務めたが,天保14(1843)年「勝手不如意」として退役し農事に励み,明治初年には140ha余を経営した。その間の安政6(1859)年に,稲作の技術や経営の在り方などに関する『農稼録』『農稼附録』を,万延1(1860)年には同年の高波被害や水害についての『暴風浪海潮備要談』『水災後農稼追録』を著した。『農稼録』は近世農書の総括的水準にあるとされる。『農稼附録』には植村茂岳との交渉など,国学の知識も盛られている。<参考文献>岡光夫「『農稼録』他現代語訳・解題」,西田躬穂「『農稼附録』現代語訳・解題」(『日本農書全集』23巻)
(松田之利)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報