日本歴史地名大系 「長岡宮内裏跡」の解説 長岡宮内裏跡ながおかきゆうだいりあと 京都府:向日市長岡京長岡宮内裏跡向日丘陵の東端裾部、鶏冠井(かいで)町荒内(あらうち)・御屋敷(おやしき)・東井戸(ひがしいど)の標高一九―二五メートルの東へ緩やかに傾斜する地を造成して造られた。現在、内裏跡推定地の大半は北真経(きたしんきよう)寺境内にあり、内郭築地回廊の一部は昭和四八年国の史跡に推定され、公園となって保存されている。内裏に由来する地名として、現地名にも荒内という地名が残る。明治六年鶏冠井村の土地台帳として作成された古図には現在地の北東隅にのみ「荒内」が記されている。そして内郭築地回廊北西部が「今開」、南西部が「坊ノ後」等と記されている。荒内は「荒内裏」に由来すると考えられ、平安京の内裏が大極殿の北東部にあることから長岡京の内裏も一時期この地に造営されたと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報