紫宸殿(読み)ししんでん

精選版 日本国語大辞典 「紫宸殿」の意味・読み・例文・類語

ししん‐でん【紫宸殿】

[一] 古く、中国の禁中にあった殿舎の名。〔唐会要‐巻三〇・大明宮
[二] 内裏正殿。神明造りの殿舎で南面し、中央に一八段の階があり、その前方左右に桜と橘(たちばな)の木が植えられてある。殿内の中央には御帳台があり、その後方に賢聖障子(けんじょうのそうじ)をもつ。即位、朝賀、節会(せちえ)などの公式の儀式を行なった。南殿(なでん)。前殿。ししいでん。
※続日本後紀‐天長一〇年(833)三月壬寅「天皇御紫宸殿。賜群臣酒。有囲碁之興
※高野本平家(13C前)四「大極殿なからん上は、紫震殿(シシンテン)にてこそ御即位はあるべけれ」

ししい‐でん【紫宸殿】

(「で」の前の撥音の鼻母音化にはじまるよみくせ) =ししんでん(紫宸殿)
拾芥抄(13‐14C)中「南殿云紫宸殿(シシイデン)
説経節あいごの若(山本九兵衛板)(1661)初「ししいでんまでみゆき有、本のだいりへくゎんがう有」

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デジタル大辞泉 「紫宸殿」の意味・読み・例文・類語

ししん‐でん【紫宸殿】

平安京内裏の正殿。即位朝賀節会せちえなどの諸種の儀式や公事くじを行った。入母屋造いりもやづくで南面し、中央の階の左右に左近の桜右近のたちばながある。殿内中央に高御座たかみくら御帳台みちょうだいがあり、その後方に賢聖障子けんじょうのそうじが立つ。南殿なでん。前殿。ししいでん。→十七殿

ししい‐でん【紫宸殿】

ししんでん(紫宸殿)

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改訂新版 世界大百科事典 「紫宸殿」の意味・わかりやすい解説

紫宸殿 (ししんでん)

内裏の正殿。〈ししいでん〉とも読む。内裏の南部分にある第1の御殿で,南殿(なでん),南大殿,前殿,正寝,正殿ともいう。はじめは節会,季御読経(きのみどきよう),立后,立太子,天皇元服等の通常の公事が行われたが,大極殿(だいごくでん)の廃亡とともに即位や大嘗会(だいじようえ),朝賀等重要な儀式も行われるようになった。内裏のほぼ中央の位置に仁寿殿(じじゆうでん)があり,その南にあるのが紫宸殿で,南に広い白砂の南庭をもつ。庭を囲んで東側に宜陽殿,日華門,春興殿,左掖門(さえきもん),西側に校書殿(きようしよでん),月華門,安福殿,右掖門と対称的に殿舎,門が並び,南庭の南に承明門(じようめいもん),さらにその南に建礼門がある。紫宸殿の構造は,檜の白木造,檜皮葺き(ひわだぶき),天井を張らず,化粧屋根裏で,板敷の床を高くした寝殿造である。南面して9間4面,外縁に簀の子(簀子)をつける。南に18級の木階(きざはし)をもつ正階1階,東西におのおの9級の側階2階ずつをもつ。身舎(もや)(母屋)は東西9間,南北3間,中央北寄りに天皇の御座の御帳台を設ける。身舎と北廂の間は賢聖障子(けんじようのしようじ)で仕切られており,その中央と東西第2間に戸があり,中央は天皇の,両端は臣下通路となっている。身舎の南は南廂で,東西9間,南北1間,南側に格子をつけ,中央に紫宸殿の額を掲げ,東西面に妻戸をつける。東廂は東西1間,南北3間,東側に格子,南北面に妻戸をつける。西廂も東廂と同じ大きさで西側に格子,南北面に妻戸をつけるが,身舎との境は白壁である。この室を御膳宿(おものやどり)といい,節会のさい天皇の食事を置き,平常時に賢聖障子をおさめた。北廂は身舎の背後にあたり,御後(ごご)といい,東西9間,南北1間,北側に格子,東西面に妻戸をつける。天皇が紫宸殿に出御のさいは,この室には蔵人以外は入れなかった。廂の外の四周は簀の子で,その外側に高欄をつける。額間(がくのま)の南の簀の子に接して正階があり,階の東に桜,西に橘が植えられている。儀式のさいに桜の近くに左近衛が,橘の近くに右近衛が陣をしいたので,左近の桜・右近の橘と呼ばれた。紫宸殿の北の宜陽殿とは二つの渡廊で接しているが,その南側は吹抜けで軒廊(こんろう)と呼ばれ,御占が行われる場所である(軒廊御卜)。また小庭をはさんだ北側は,中央を壁で仕切り,北側は東北廊,南側が陣座(じんのざ)である。陣座は左近陣座の略称で,仗座(じようざ)ともいい,天皇警固の陣がしかれ,後代には大臣以下高官が列座して,改元や親王宣下等の重要事項の議定の場所となった。北にある仁寿殿とは露台で接し,西にある清涼殿やその南の校書殿とは北西隅の階から長橋や渡廊で接している。平安京創建当初の御殿は960年(天徳4)の火災により焼失,以後も火災にあったが再建され,規模等が縮小された里内裏でも中心の建物であった。平安時代の様子は《年中行事絵巻》によりわずかに知ることができ,また天正内裏(1589造営)のものは仁和寺の金堂となって遺構を示している。現在の京都御所にあるものは安政度(1855)造営のもので,復古の様式を保っているが,南庭を囲む殿舎は宜陽殿のみで他の3殿はない。
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百科事典マイペディア 「紫宸殿」の意味・わかりやすい解説

紫宸殿【ししんでん】

内裏の正殿。〈ししいでん〉とも読む。南殿(なでん)ともいう。9間4面の素木(しらき)造で,屋根は檜皮葺(ひわだぶき),入母屋(いりもや)造。南面の18階段の東に左近(さこん)の桜,西に右近の橘を植える。平安中期に大極(だいごく)殿荒廃後は,即位や大嘗会(だいじょうえ)など,朝廷の大きな儀式も紫宸殿で行われるに至った。今の京都御所の紫宸殿は1855年造営,平安時代の様式をほぼ復元している。
→関連項目白馬節会賢聖障子清涼殿曼陀羅寺

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「紫宸殿」の解説

紫宸殿
ししんでん

「ししいでん」とも。古くは紫震殿とも。平安宮内裏十七殿の一つ。内裏の正殿。内裏内郭のほぼ中央,仁寿(じじゅう)殿の南に位置するため,南殿(なでん)・前殿ともよばれる。母屋(もや)は南を正面とし,東西9間,南北3間,四面に庇(ひさし)がつく。母屋中央のやや北寄りに御帳台(みちょうだい)をおく。紫宸殿や南庭での行事には天皇が出御した。南庇中央の額の間(がくのま)から南庭へ木階(南階(なんかい))が下り,左右に左近の桜・右近の橘が植えてある。現在の京都御所の紫宸殿は1855年(安政2)造営され,平安時代の様式を伝えるという。ここでは,天皇・皇太子の元服や立后のほか,旬政(しゅんせい)・告朔(こうさく)などの政事,季御読経(きのみどきょう)・仁王会などの仏事が行われた。さらに9世紀後半以降,大極(だいごく)殿や豊楽(ぶらく)殿で行われていた元日朝賀・諸節会・即位儀など国家的行事も移され定着した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紫宸殿」の意味・わかりやすい解説

紫宸殿
ししんでん

「ししいでん」とも読む。南殿 (なでん) ともいう。平安京内裏 (だいり) の正殿。朝賀や公事を行うところで,大極殿の退廃後は即位などの儀式もここで行なった。南面,神明造檜皮葺で,殿の中央北寄りに玉座を設け,その北に中国の制にならい漢唐の名臣 32人の肖像を描いた賢聖障子 (けんじょうのしょうじ) がある。殿舎の前庭には左近の桜,右近の橘が植えてある。

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旺文社日本史事典 三訂版 「紫宸殿」の解説

紫宸殿
ししんでん

平安京内裏の正殿
「ししいでん」とも読む。南殿 (なでん) ・前殿とも呼ばれ,即位・朝賀など大小の儀式が行われた。入母屋造・檜皮葺 (ひわだぶき) の建物で,殿舎の中央に御帳台,前庭には左近の桜,右近の橘があった。現在の京都御所は江戸末期のものだが古制を残している。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「紫宸殿」の解説

紫宸殿 (シシンデン)

学名:Biota olientalis var.ericoides
植物。ヒノキ科の常緑針葉低木

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世界大百科事典(旧版)内の紫宸殿の言及

【紫宸殿】より

…はじめは節会,季御読経(きのみどきよう),立后,立太子,天皇元服等の通常の公事が行われたが,大極殿(だいごくでん)の廃亡とともに即位や大嘗会(だいじようえ),朝賀等重要な儀式も行われるようになった。内裏のほぼ中央の位置に仁寿殿(じじゆうでん)があり,その南にあるのが紫宸殿で,南に広い白砂の南庭をもつ。庭を囲んで東側に宜陽殿,日華門,春興殿,左掖門(さえきもん),西側に校書殿(きようしよでん),月華門,安福殿,右掖門と対称的に殿舎,門が並び,南庭の南に承明門(じようめいもん),さらにその南に建礼門がある。…

※「紫宸殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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