朝日日本歴史人物事典 「長岡謙吉」の解説
長岡謙吉
生年:天保5(1834)
幕末の土佐(高知)藩士,維新政府官僚。土佐国高知城下浦戸町の医家に生まれた。はじめ今井純正と称した。河田小竜に学び,大坂,江戸で医学を修業して医業を開く。安政6(1859)年長崎でシーボルトに学んだが,キリシタンの嫌疑を受け帰国させられ,城下の東に追放された。赦免後,再び長崎に出て坂本竜馬の海援隊に加入,通信事務を一手に引き受けた。慶応3(1867)年6月,坂本が発案した「船中八策」を成文化した。同年,長崎キリシタン問題を論じた『閑愁録』を出版。戊辰戦争では,瀬戸内一帯の海運を抑え,海援隊再編の隊長になった。まもなく三河県知事に任じ,大蔵省,工部省の吏員を歴任したが,39歳で東京に病没した。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報