幕末期の長崎における坂本竜馬を中心とする組織。貿易,海運などを業としながらも倒幕運動への参加を企図した政治集団。1865年(慶応1)に廃止された神戸海軍操練所の修業生のうち坂本竜馬を中心とする20余名は,薩摩藩の保護をえて鹿児島に赴くが,ただちに同藩の小松帯刀に伴われて長崎に移り,同地の豪商小曾根家の援助をえて,同年5月下旬に〈亀山社中〉を成立させる。その後社中は,薩摩藩の名義を借り,小曾根家の海運業に支えられて,薩長両藩などの武器・艦船の輸入を仲介し,あわせて海運業に従事しながら航海術を修業していた。ところが土佐藩の政情の変化と坂本竜馬の政略とが重なって,土佐藩(後藤象二郎,福岡孝弟ら)と社中がむすびつく。67年(慶応3)4月初旬,竜馬は,脱藩の罪を許されるとともに海援隊長に任命され,社中は海援隊士とされた。この組織は,〈海援隊約規〉に見るように〈脱藩ノ者,海外開拓ニ志アル者〉を組織し,〈出崎官〉すなわち長崎に出張している土佐藩の責任者に属することが定められていた。隊士の出身階層が町医者(長岡謙吉),村役人(菅野覚兵衛),饅頭屋(近藤長次郎)など多様であり,出身地も土佐中心であるが紀州(陸奥宗光)など他藩出身もみられた。そして最終的には土佐藩の海軍力となることが期待されていたが,直接的には勉強しながら商業活動を独自にすすめるという幕藩制社会には珍しい組織であった。しかし竜馬が暗殺されてから自然崩壊し,68年(明治1)閏4月27日藩命により解散した。
→陸援隊
執筆者:池田 敬正
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坂本龍馬(りょうま)を隊長とした幕末土佐藩の外郭遊撃隊。神戸の海軍操練所閉鎖後、坂本龍馬らは薩摩(さつま)藩の保護を受け、1865年(慶応1)長崎に亀山(かめやま)社中という結社をつくり、運輸通商に従いながら、倒幕のために活動していた。土佐藩の公武合体策が動揺し始めると、67年、長崎出張中の後藤象二郎(しょうじろう)が龍馬と会談、国元で福岡藤次(とうじ)(孝弟(たかちか))が動いて、龍馬は脱藩罪を許され、4月長崎で海援隊長に任ぜられ、亀山社中がそのまま海援隊となった。隊の「約規」によれば、隊員は各藩の脱藩者で海外に志ある者、任務は「運輸、射利、開拓、投機、本藩(土佐藩)の應援」と、政治学・航海術・語学などの修得で、出版なども行った。約50名の隊員には中島作太郎(信行(のぶゆき))、長岡謙吉など土佐人のほか、陸奥(むつ)陽之助(宗光(むねみつ))のような土佐藩以外の出身者も多かった。同年11月隊長龍馬が京都で暗殺されたのち、隊士はしだいに分散。讃岐(さぬき)諸島で活動していた長岡謙吉が翌68年隊長になったが、同年閏(うるう)4月には土佐藩によって解散させられた。
[関田英里]
『平尾道雄著『海援隊始末記』(中公文庫)』
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幕末期に坂本竜馬を中心に活動した有志集団。1865年(慶応元)に廃止された神戸海軍操練所に学んだ者たちが,竜馬を中心に長崎の豪商小曾根家の援助をえて,同年5月に亀山社中を結成,海運に従事しながら航海術を磨いた。高知藩は67年4月竜馬の脱藩をゆるし,社中を海援隊として長崎出張官の管轄ということで間接的に藩に属させ,竜馬を隊長に任じた。隊士は土佐中心ではあるが,他国の出身者もまじっていた。国事に奔走した竜馬の死後は組織も崩壊し,68年(明治元)閏4月に藩が解散命令を出した。
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