日本歴史地名大系 「長崎城跡」の解説 長崎城跡ながさきじようあと 山形県:東村山郡中山町長崎村長崎城跡[現在地名]中山町長崎長崎の北部、最上川南岸の丘上にある。長崎館・中山(なかやま)城とも記した。承久の変で上皇方について敗れ、寒河江(さがえ)庄に潜居したと伝える大江親広の部将中山忠義は当初伏熊(ふしくま)(現西村山郡大江町)に住したが、八代継信のとき最上川南岸の沼尻(ぬまじり)郷(現在の長崎一帯)を開拓し、至徳元年(一三八四)当地に居館を構えた。継信が長崎中山氏の初代とされる。 長崎城跡ながさきじようあと 福井県:坂井郡丸岡町長崎村長崎城跡[現在地名]丸岡町長崎称念(しようねん)寺境内地に置かれたと推定される南朝方の一拠点。「太平記」巻一九(新田義貞落越前府城事)に「細屋右馬助ヲ大将トシテ其勢三千余騎、越前国ヘ打コヘ長崎・河合・川口三箇所ニ城ヲ構テ漸々ニ府ヘゾ責寄ケル」とある。「越前国城蹟考」は北隣する舟寄(ふなよせ)館にその故地を求めているが、やはり長崎の地、称念寺境内と考えたい。「大乗院寺社雑事記」文明一二年(一四八〇)一二月一一日条に「長崎城責落」、また同一三年九月二四日条に「朝倉ハ長崎之道場ニ出陣云々」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by