朝日日本歴史人物事典 「長崎村茂右衛門」の解説
長崎村茂右衛門
生年:生年不詳
江戸後期の長崎村茂右衛門騒動の首謀者。越中国礪波郡長崎村(富山県礪波郡利賀村)の茂兵衛の子。安政5(1858)年7月25日に五箇山の十数カ村の農民が井波町米商など1000軒を打ちこわす。夜ごと閑乗山で集会を重ねて竹螺を吹き松明をたいて「いくぞ。いくぞ。」と大勢を扇動したかどで,井波町観音寺の高台で磔に処せられた。のち義民碑が建立された。
(吉武佳一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報