北京条約(読み)ペキンジョウヤク

デジタル大辞泉 「北京条約」の意味・読み・例文・類語

ペキン‐じょうやく〔‐デウヤク〕【北京条約】

1860年、アロー戦争の結果、イギリスフランス国との間で結ばれた条約。天津開港賠償金の支払い、イギリスへの九竜割譲などを定めた。
1860年、ロシア国との間で結ばれた条約。沿海州をロシアに譲ることを定めた。
1898年、三国干渉の結果、ロシアと清国との間で結ばれた条約。ロシアの旅順大連租借および東清鉄道建設を定めた。

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精選版 日本国語大辞典 「北京条約」の意味・読み・例文・類語

ペキン‐じょうやく‥デウヤク【北京条約】

  1. 中国の清末に、清国政府が列国と北京で締結した条約の通称。北京協定ともいわれる。一般には一八六〇年、アロー戦争(第二次阿片戦争)後に英・仏・露三国と結んだ条約をさし、これは外交使節の北京駐在、賠償金の増額領土の割譲などを含み、天津条約補正性格をもつ。

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改訂新版 世界大百科事典 「北京条約」の意味・わかりやすい解説

北京条約 (ペキンじょうやく)
Běi jīng tiáo yuē

北京において清国と列国との間に結ばれた条約・協定の通称。第1次アヘン戦争以後,列国は清国朝廷の所在地北京で条約を結ぶことを強く要求し,他方清朝はそれを極力回避しようとした。しかし,第2次アヘン戦争の結果,1860年(咸豊10)の北京条約において,イギリス,フランス,ロシアはこの目的を達した。まず,清国欽差大臣奕訢(えききん)とイギリス全権エルギンJ.B.Elginとが全9条からなる中英北京条約に調印した。内容は,1858年の天津条約が有効であることを確認したほか,(1)賠償金増額,(2)天津開港,(3)中国人労働者の海外渡航,(4)九竜半島市街地部分の割譲,を定めた。次いで,奕訢とフランス全権グロBaron Grosとが調印した中仏北京条約は,イギリスと同様に(1)~(3)を定めたほか,中国側が没収したカトリック教会の財産の返還を認めさせた。さらに,奕訢とロシア駐華公使イグナティエフN.P.Ignat'evとの間で中露北京条約全15条が調印された。内容は,(1)璦琿(あいぐん)条約で中立地帯とされたウスリー(烏蘇里)江東岸の割譲,(2)クーロン庫倫),張家口における貿易の許可,(3)カシュガル喀什噶爾)を交易地として開放すること,などが約され,翌年ウラジオストクが建設された。表のごとく,これ以降,北京において頻繁に条約が結ばれたが,1896年(光緒22)の中日通商行船条約や1901年の義和団事変に関する最終議定書のごとく,北京において調印された条約でも北京条約と称されないものもある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北京条約」の意味・わかりやすい解説

北京条約
ぺきんじょうやく

中国、北京で清(しん)国が諸外国と結んだ十数種の条約の通称。ただし、北京で結ばれた条約すべてを含むものではない(義和団事件後の辛丑(しんちゅう)議定書はその一例)。もっとも有名なものは、1860年10月イギリス、フランスと、11月にロシアと個別に結んだ三つの条約である。清英、清仏間の条約は57年来のアロー戦争(第二次アヘン戦争)を終わらせたもので、58年の天津(てんしん)条約を確認したほか、〔1〕天津条約に規定された賠償の増額(各800万両(テール)へ)、〔2〕天津の開港、〔3〕中国人労働者の募集と渡航の承認、〔4〕イギリスの九竜司地方(九竜半島南端の市街地部分)の割譲、〔5〕没収したカトリック教会財産のフランスへの返還を承認した。ロシアとの北京条約は、ロシアが清と英仏との講和を斡旋(あっせん)したことから、ロシアの要求を受け入れて結ばれたもので、58年のアイグン(愛琿)条約で、国境確定まで両国で共有することとされていたウスリー川以東の沿海地方をロシア領とすること、クーロン、カシュガル、張家口を貿易地として認めることなどからなる。

 北京での条約調印は、従来、清朝が固く拒否し、イギリス、フランスがその実現に固執して北京の軍事占領に至ったもので、この実現自体、清朝の国際的地位の質的変化の象徴であった。事実、清朝ではこの条約締結を機に、保守排外派が宮廷政変によって後退し、条約締結にあたった恭親王奕訢(えききん)らが中心となって、外交の専門機関(総理各国事務衙門(がもん))を設立して、対外和親政策に転換し、イギリス、フランス両国は清朝を支持して、その太平天国鎮圧を積極的に援助するようになった。

[小島晋治]

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百科事典マイペディア 「北京条約」の意味・わかりやすい解説

北京条約【ペキンじょうやく】

中国が諸外国と締結・調印した条約のうち,締結地が北京であったものの総称。20余件の条約があるが,一般にはアロー戦争(第2次アヘン戦争)の結果,1860年に清が英・仏・露の3国と締結したものをさす。英・仏両国と締結したものは1858年の天津条約に基づき,その修正,追加を含む。英・仏両国は外交使節の北京常駐権,天津の開港,賠償金の増額を承認させたほか,英国は九竜半島の一部を割譲させ,フランスは旧天主堂を回復した。ロシアは英・仏両国と清との間の調停の労をとった代償として,ウスリー川以東の沿海州を割譲させた。
→関連項目【あい】琿条約

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北京条約」の意味・わかりやすい解説

北京条約
ペキンじょうやく
Bei-jing; Pei-ching

中国の北京で締結された条約は数多く,通称として北京条約 (協定) と呼ばれるものがいくつかあるが,通常は 1860年 (清,咸豊 10年) アロー戦争終結のため,清朝とイギリス,フランス,ロシアとの間に結ばれたそれぞれの条約をいう。清朝=イギリス間の条約は,同年 10月恭親王奕 訢とエルギン伯の間に調印されたもので,清朝は 58年の天津条約を確認したうえ,(1) 賠償金を 400万両から 800万両に増額,(2) 新たに天津の開港を追加,(3) イギリスに九竜半島を割譲するなどを認めた。清朝=フランス (全権 J.グロ) との条約もほぼ同様である (賠償金は 200万両から 800万両へ) 。またロシア公使 N.イグナチェフは,清朝とイギリス,フランス間の講和を斡旋した代償として,同年の愛琿条約に追加,修正を加え,ウスリー川以東の沿海州を割譲させ,庫倫 (現ウラーンバートル) ,張家口での貿易を認めさせた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「北京条約」の解説

北京条約(ペキンじょうやく)

アロー戦争の結果,1860年に北京で締結された清国とイギリス,フランス,ロシアとの間の条約で,58年に締結された天津条約の追加条約である。交戦国であったイギリス,フランスはこの条約によって,外交使節の北京常駐権,天津の開港,賠償金の増額を承認させたほか,イギリスは九竜半島の一部を領有し,フランスは清初に没収された旧天主堂の土地・建物の返還を約束させた。ロシアは交戦国ではなかったが,ウスリー川東岸地方を割譲させた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「北京条約」の解説

北京条約
ペキンじょうやく

①1860年アロー戦争の結果イギリスと清朝との間に結ばれた講和条約
②1860年アロー戦争を調停したロシアと清朝との間に結ばれた条約
1858年の天津条約が有効であることを確認し,賠償金の増額,天津開港,中国人労働者の海外渡航,九竜半島南部の割譲を約した。
ウスリー江東岸の沿海州をロシア領とし,クーロン・張家口・カシュガルでの貿易を認めさせた。ロシアはウラジヴォストークを建設して極東の拠点とした。

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世界大百科事典(旧版)内の北京条約の言及

【第2次アヘン戦争】より

…当時北京郊外の円明園にいた咸豊帝は熱河に逃れ,10月に連合軍は円明園に侵入し,破壊と略奪をほしいままにした。10月20日,欽差大臣恭親王はイギリス,フランスの最後通牒を受諾し,中英・中仏北京条約が結ばれた。北京条約は,58年の天津条約に基づいていたが,それに加え,賠償金をイギリス,フランスそれぞれ800万両(テール)に増額し,天津の開港,中国人の海外渡航許可,九竜地区をイギリスに割譲することなどが定められた。…

【中ソ国境問題】より

…行政区画別ではなく,軍管区(軍区)別に国境線を区分し東方から西方へと併記すると,中国の瀋陽軍区(司令部所在地は瀋陽)が旧ソ連の極東(ハバロフスク)とザバイカル(チタ)の2軍管区に,モンゴルを介して,中国の北京(北京),蘭州(蘭州),新疆(ウルムチ)の3軍区が旧ソ連のザバイカル,シベリア(ノボシビリスク)の2軍管区に,そして中国の新疆軍区が旧ソ連の中央アジア(アルマ・アタ,現アルマトゥイ)とシベリアの2軍管区に,それぞれ接していた。この長大な国境線は,帝政ロシアが清朝と締結した一連の条約,すなわち1858年(咸豊8)の璦琿(あいぐん)条約,60年の北京条約,81年(光緒7)の改訂条約,その他さまざまの名を冠した十数の国境測量,調査議定書を含む清露条約体系で決められたものである。そして中ソ国境線の特質は,これらの条約がツァーリ・ロシアによるロシアの東漸,中国侵略を物語る記録である,ということにある。…

※「北京条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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