日本歴史地名大系 「長曾根村」の解説 長曾根村ながそねむら 大阪府:堺市長曾根村[現在地名]堺市長曾根町・黒土(くろつち)町・新金岡(しんかなおか)町一―二丁・北長尾(きたながお)町一―八丁・中長尾(なかながお)町一―四丁・南長尾(みなみながお)町一―五丁・東三国(ひがしみくに)ヶ丘(おか)町一―五丁・中百舌鳥(なかもず)町一―三丁など和泉国中筋(なかすじ)村の東に位置する。村の北側を長尾街道、南部を竹内(たけのうち)街道が通る。村には長曾根・黒土の二集落がある。かつては長曾根村・黒土村の二ヵ村に分離していた時期もあったという(大阪府全志)。河内国八上(やかみ)郡に属する。一二世紀前半頃の成立といわれる「執政所抄」に「長曾禰」とみえる。中世は長曾禰(ながそね)郷・長曾禰庄の地。 長曾根村ながそねむら 滋賀県:彦根市旧犬上郡地区長曾根村[現在地名]彦根市長曾根町・長曾根南町(ながそねみなみちよう)中藪(なかやぶ)村の西に位置する同村の枝郷。北西は琵琶湖に面し、南西は善利(せり)川(芹川)を挟んで大藪(おおやぶ)村。当御城下近辺絵図付札写(西村文書)に「長曾根ノ庄北村西村此村方は彦根山の西山下に有り、亦数多の鍛冶屋住居の村方にて頭立ちし鍛冶拾三人有り、今に至り長曾根村と云は此北村の事也」とあり、彦根城築城に伴い村が潰され、やむなく他村へ離散、「残る者共少く十四五人斗替地今の長曾根村の所へ移り」と記す。そして住人も少なく村高も二、三〇石程度だったため中藪村の役人が管轄、慶長検地のときから中藪村の高に含めることになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by