長沢伴雄 ながさわ-ともお
1808-1859 江戸時代後期の武士,歌人。
文化5年11月生まれ。紀伊(きい)和歌山藩士。本居春庭(もとおり-はるにわ),本居大平(おおひら)にまなぶ。藩主徳川治宝(はるとみ)に重用されたが,嘉永(かえい)6年藩内の争いから役を解かれ,安政6年11月27日獄中で自刃(じじん)。52歳。本姓は吉岡。通称は隼人,衛門。号は柿園,絡石舎(つたのや)。編著に「類題和歌鴨川集」「詠史歌集」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の長沢伴雄の言及
【蔵書印】より
…蔵書印はだいたい蔵書家の姓か,雅号か姓名または文庫名を入れたものが多いが,ときには書物に対する希望や警句などを入れたものもある。紀州藩士長沢伴雄の〈我死ナハウリテ黄金ニカヘナヽム,オヤノ物トテ虫ニハマスナ。長沢伴雄蔵書記〉,伴信友の〈コノフミヲカリテミムヒトアラムニハ,ヨミハテヽトクカヘシタマヘヤ。…
※「長沢伴雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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