朝日日本歴史人物事典 「長沢伴雄」の解説
長沢伴雄
生年:文化5(1808)
江戸後期の国学者,歌人。本姓吉岡。通称十蔵,衛門。絡石舎と号す。紀州(和歌山)藩士吉岡家に生まれ,長沢家の養子となる。10代藩主徳川治宝が文事を好んだため知遇を得,さらに政治的な密命を帯びて暗躍することもあった。友人加納諸平に毒を盛ったのも一連の藩政内紛に関連するという。治宝の死後,一派とみなされて罪を問われ,獄死。軽薄な人柄を非難する声も聞かれ,芳しくない評価のある一方,諸平に対抗して出した『類題和歌鴨川集』が近世後期歌壇を大いに活気づけたことで知られるような才能の持ち主でもあった。<参考文献>山本嘉将『加納諸平の研究』
(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報