群馬県中部、北群馬郡にある町。1955年(昭和30)明治、駒寄の2村が合併して吉岡村となり、1991年(平成3)町制施行。榛名(はるな)山の東斜面末端部の農村で、東端は利根(とね)川となる。国道17号が通じ、主要地方道高崎渋川線と関越自動車道が南北に貫通している。中心集落は下野田(しものだ)。かつては養蚕と米作が中心であったが、近年では転作が進み、畜産や施設園芸が盛んで、ブドウ、キウイフルーツや乾燥いもなども産する。また、小倉(おぐら)工業団地も造成され、プラスチック製造や自動車関連企業が進出している。大久保(おおくぼ)では隣接する前橋市総社(そうじゃ)町地区の影響でこけしを製造する。北西端にある船尾滝は高さが72メートルあり、遊歩道がつくられている。面積20.46平方キロメートル、人口2万1792(2020)。
[村木定雄]
『『吉岡村誌』(1980・吉岡村)』
宮城県中部、黒川郡大和町(たいわちょう)の中心地区。旧吉岡町。1616年(元和2)飯坂氏の名跡を継いだ伊達政宗(だてまさむね)の三男宗清(むねきよ)が城下町建設を行い、また奥州街道の宿場となる。近世以来の郡内の中心地。郡の鎮守吉岡八幡神社(よしおかはちまんじんじゃ)は縁結びの神社として知られ、12月には「島田飴(あめ)祭り」が行われる。国道4号が通じる。
[編集部]
群馬県中央部,北群馬郡の町。人口1万9801(2010)。1991年町制。榛名山東麓を占め,東境を利根川が南流する。南東は前橋市,北は渋川市に接する。近世には伊香保街道や三国街道などが通り交通の要所であった。古くから桑畑,畑作中心の農業が営まれていたが,1969年の群馬用水榛名幹線完成以後,用水不足が解消されて開田が進んだ。畜産が農業の中心で,ブドウ,リンゴなどの果樹栽培も行われている。隣接する前橋市総社のこけし生産の影響を受けて,南部の大久保では現代的なこけしが作られている。1960年代後半から前橋市や渋川市などへの通勤者が増え,人口も増加している。
執筆者:千葉 立也
鳥取県鳥取市中部,湖山(こやま)池南方2kmの谷間に位置する温泉。単純泉,30~55℃。戦国期の勇将吉岡将監の居城のあった箕上(みのかみ)山の北西麓にある静かな温泉で,発見は古く10世紀ごろにさかのぼる。付近の地質は花コウ岩で,温泉は断層などの割れ目に沿って湧出していると考えられている。国民温泉に指定されている。
執筆者:豊島 吉則
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…町域の大部分は山地からなり,基幹産業は漁業で,津軽海峡でのイカ漁を中心にマス,コンブ,ワカメなどを産するが,最近は育てる漁業へと転換し,水産加工業も盛んになっている。西部の吉岡は青函トンネルの北海道側の建設基地にあたり,建設中は活気があったが,1988年トンネル開通後は経済活動が低下している。北西端の大千軒岳(1072m)にはかつて松前藩の金山があり,1639年(寛永16)には,ここで働く多くのキリシタンが処刑されたことで知られ,毎年7月に巡礼ミサが行われる。…
…西部は泉ヶ岳北東麓の山地・丘陵で,東部の吉田川中流域に平地が広がる。中心集落の吉岡は,仙台の北を守る要地として1616年(元和2)伊達政宗の三男宗時が城下町を開いたことに始まり,23年以降は奥州街道と羽後街道の分岐点の宿場町として発展,5・9の日の六斎市が開かれてにぎわった。米作を中心とする農業が主産業で,シイタケ,ナメコなど林産物の特産もある。…
※「吉岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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