長滝庄(読み)ながたきのしよう

日本歴史地名大系 「長滝庄」の解説

長滝庄
ながたきのしよう

現泉佐野市の北西部にあった東北院領庄園。天福二年(一二三四)六月二五日の官宣旨(九条家文書)に庄名がみえる。立庄の時期はつまびらかでないが、同宣旨中に元久二年(一二〇五)高野山宝塔三昧ほうとうさんまい院領として勧進聖鑁阿が日根野ひねの村と当庄とにまたがる荒野の開発を企てたが、用水路を当庄内に設けることができず沙汰やみとなったことがみえており、成立はそれ以前であったことが知られる。また同官宣旨によって日根庄が成立するが、その庄域に含まれる当庄分は除かれている。正和五年(一三一六)の日根野村絵図(同文書)には、熊野街道東方に建つ禅興ぜんこう寺とそれを取巻くように長滝庄が描かれている。

当庄は弥富やとみ方と包富かねとみ方に分けられており、天福元年五月、摂関家政所は日根野の土豪中原(日根または日根野を称する)盛実を弥富方下司職と長滝庄全体の公文職に補任、両職は嘉禎二年(一二三六)一一月盛実の子息盛直(法名浄願)に譲られている(同年一一月一五日「長滝庄下司并公文職譲状」日根文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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