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根来寺 ねごろじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

根来寺
ねごろじ

和歌山県北部,岩出市中部にある新義真言宗大本山。根来大伝法院と号する。大治5 (1130) 年覚鑁高野山に大伝法院を建立,鳥羽上皇の勅宣により金剛峯寺を兼任したが,一山の反対にあい金剛峯寺派との軋轢が生じたので,弘安9 (1286) 年に頼瑜,忠俊らが大伝法院を現在地に移転。その後僧兵を養い,一山の堂塔 2700余と称して栄えたが,天正 13 (1585) 年豊臣秀吉に焼き打ちされ壊滅した。江戸時代に入り,5代将軍徳川綱吉のときに再興された。室町時代に建立された多宝塔 (国宝) のほか,大師堂 (国指定重要文化財) ,不動堂などが残る。僧兵がつくり出した根来塗の技法が,黒江塗輪島塗に伝えられたとされる。

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デジタル大辞泉の解説

ねごろ‐じ【根来寺】

和歌山県岩出市にある真言宗総本山山号は一乗山。正しくは大伝法院。大治5年(1130)覚鑁(かくばん)高野山に開いた伝法院に始まる。のち、根来の豊福寺に移転。正応元年(1288)頼瑜(らいゆ)が大伝法院の堂塔をここに移し、新義真言宗の拠点としての根来寺が成立。戦国時代には多数の僧兵根来衆を擁して豊臣秀吉と対立し、焼き打ちされたが、紀州徳川家の外護により復興。天文16年(1547)完成の多宝塔は大塔形式をもつ遺構で国宝。

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百科事典マイペディアの解説

根来寺【ねごろでら】

和歌山県岩出市にある新義真言宗大本山。一乗山大伝法院と号す。覚鑁(かくばん)は高野山に大伝法院を創建したが,高野衆徒と争いを生じ,1140年根来に移って一乗山円明寺を開山。
→関連項目近木荘雑賀雑賀一揆真言宗智山派真言宗豊山派滝谷寺智積院根来塗輪島塗

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デジタル大辞泉プラスの解説

根来(ねごろ)寺

和歌山県岩出市にある寺院。創建は不明。新義真言宗総本山、本尊大日如来。大塔は国宝、大師堂は国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典 第2版の解説

ねごろでら【根来寺】

和歌山県那賀郡岩出町にある新義真言宗の本山。根来山大伝法院と号し,根来寺は通称。覚鑁(かくばん)が1132年(長承1)高野山に建てた大伝法院に始まる。34年院宣により覚鑁が大伝法院と金剛峯寺の座主(ざす)を兼務したことで,金剛峯寺の衆徒と争いを生じ,覚鑁は40年(保延6)高野山からこの地に退き,新たに一乗山円明寺を興した。覚鑁の死後も金剛峯寺との対立は続き,ついに1288年(正応1)頼瑜(らいゆ)が高野山より大伝法院と密厳院などをここに移した。

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大辞林 第三版の解説

ねごろじ【根来寺】

和歌山県根来にある新義真言宗の総本山。山号、根来山。正式名は大伝法院。1132年覚鑁かくばんが高野山に開いた大伝法院に始まる。のち高野衆徒と対立し、1288年根来に移り、新義真言宗として独立。南北朝期より多数の僧兵を養い隆盛を極めたが、1585年豊臣秀吉に攻められて焼亡。その後徳川氏の保護を受けて法住が再興。ねごろでら。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

根来寺
ねごろじ

和歌山県岩出(いわで)市根来にある新義真言(しんぎしんごん)宗の総本山。一乗(いちじょう)山根来寺大伝法院と号する。本尊は、大伝法堂(だいでんぼうどう)に安置される大日如来(だいにちにょらい)・尊勝(そんしょう)仏頂・金剛薩(こんごうさった)の3尊。高野山(こうやさん)を去った覚鑁(かくばん)はここに移り、円明寺、神宮寺などの諸堂を建立した。覚鑁亡きあと、1288年(正応1)頼瑜(らいゆ)が高野山より大伝法院と密厳院(みつごんいん)を根来に移し、従来の高野山教学とたもとを分かち、新義真言宗が成立するに至った。以後しだいに隆盛し、室町末期には大伝法院、密厳院、円明院をはじめ、坊舎80余、子院堂塔2700余棟を数えるに至り、領地70万石という大大名なみの勢力に発展した。南北朝時代のころから自衛のために僧兵を蓄えるようになり、その勢力は根来寺衆とよばれる武力集団と化し鉄砲を重要な戦力とした。1585年(天正13)豊臣(とよとみ)秀吉の紀州征伐によって多宝塔(大塔)、大伝法堂、大師堂を残し、全山すべて灰燼(かいじん)に帰した。根来の僧たちは京都の智積院(ちしゃくいん)と大和(やまと)(奈良県)の長谷寺(はせでら)に難を逃れて移り、それぞれの地に基礎を置いて新義真言宗智山(ちざん)派・豊山(ぶざん)派となり、両派おのおの全国に3000か寺を統括する学山となった。衰微した根来寺は江戸時代に至り紀伊藩徳川頼宣(よりのぶ)の外護(げご)と、護持院隆光僧正(ごじいんりゅうこうそうじょう)の尽力によってしだいに復興した。多宝塔は1480年(文明12)に着手、1547年(天文16)完成、67年間かかって建立されたもので、わが国の木造の大塔のうち最大規模をもち国宝に指定されている。また大師堂は国重要文化財。不動堂には覚鑁が高野山より移した「きりもみ不動」を祀(まつ)る。そのほか光明真言殿、役行者堂(えんのぎょうじゃどう)、聖天堂、本坊、大門などの建物がある。本坊の庭園は国の名勝。当地の根来塗は有名。[野村全宏]

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世界大百科事典内の根来寺の言及

【漆工芸】より

…《春日権現験記》や《慕帰絵詞》には高杯や懸盤,鉢などの朱漆器が描かれ,朱漆器はかなり一般化してきた。これらの朱漆器は根来(ねごろ)塗と称されるが,その名は近世以降流布した名称であり,紀州根来寺での当時の漆器生産の実際がどのようなものであったかはっきりと確認されていない。根来塗の技法は黒漆の下塗りに朱漆をかけた簡易なもので,形体も武骨で単純なものだけに長年の常用に耐える堅牢さをもっていた。…

【紀伊国】より

…ところが東寺からの独立を策したため,旧守派の衆徒の反発をかい,両派の激しい抗争の末,根来に下山した。これが後の新義真言宗根来寺(ねごろでら)の起源であるが,覚鑁と行動をともにした衆徒の多くはまもなく帰山し,その後も断続的に金剛峯寺衆徒との抗争を繰り返しながら,大局的には高野山の発展に大きく寄与している。
[荘園の濫立]
 1107年(嘉承2)の在庁官人の主張によれば,当時紀伊国の8~9割が荘園化していたという。…

【新義真言宗】より

…高野山を拠点とする空海以来の真言宗(古義真言宗)に対し,紀州根来(ねごろ)寺に拠った覚鑁(かくばん)を宗祖とする一派。現在は京都智積(ちしやく)院を本山とする真言宗智山派と,奈良県桜井市の長谷寺を本山とする真言宗豊山(ぶざん)派が二大宗派で,根来寺は別に新義真言宗本山を称する。…

【智積院】より

…五百仏頂山と号する。当寺は新義真言宗の拠点紀州根来(ねごろ)寺を再興した寺である。すなわち,根来寺は1585年(天正13)豊臣秀吉により全山が焼討ちにあった。…

【根来】より

…単に朱漆のみを塗布したものでなく,下地に黒漆の中塗りを行い,さらに朱漆の上塗りをほどこして仕上げた朱漆塗製品に限るのが原則である。その名称は紀州根来寺(和歌山県那賀郡岩出町根来)が,多くの子院・房舎を擁して隆盛していた中世期に,山内の膨大な需要に応じて自給自足した漆器に由来する。それらの漆器は長年の用に耐える良質な漆器として定評があったが,とりわけ朱漆塗の椀,折敷(おしき),膳の類は,後世〈根来〉〈根来もの〉〈根来朱〉と呼ばれて喧伝され,やがてそれがすぐれた朱漆器一般に対する通称とされるに至ったのである。…

【根来衆】より

…根来寺の僧兵集団。教団組織では行人衆をいう。…

【和歌山[県]】より

…面積=4724.29km2(全国30位)人口(1995)=108万0435人(全国39位)人口密度(1995)=229人/km2(全国29位)市町村(1997.4)=7市36町7村県庁所在地=和歌山市(人口=39万3885人)県花=ウメ 県木=ウバメガシ 県鳥=メジロ近畿地方南西部の県で,北は大阪府,東は奈良県,南東は三重県に接する。北東端の奈良・三重両県の間に北山村が飛地で界在する。
[沿革]
 県域はかつての紀伊国の大部分にあたる。…

※「根来寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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