日本歴史地名大系 「長登村」の解説
長登村
ながのぼりむら
村名の由来を「注進案」は、「当村は金山所にて、往古奈良の都大仏を鋳せらるゝ時、大仏鋳立の地金として当地の銅弐百余駄貢がしめらるる其恩賞として奈良登の地名を賜り、(中略)いつしか奈良を長と唱へ替たる訳詳ならず」とし、奈良時代より長登の鉱山が開発されたとの伝承を記す。
「美東町史」所引香山常栄寺文書に「就当寺領大田長登銀山の儀云々」とある。この文書は山口の
慶長五年(一六〇〇)の検地帳でも大田郷とよばれ、以後銀山が盛んとなるに及んで大田郷より分離した。元禄一二年(一六九九)の郷帳では長登銅山村、「地下上申」で長登村と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報