長谷川周重(読み)ハセガワ ノリシゲ

20世紀日本人名事典 「長谷川周重」の解説

長谷川 周重
ハセガワ ノリシゲ

昭和期の実業家 元・住友化学社長。



生年
明治40(1907)年8月8日

没年
平成10(1998)年1月3日

出生地
熊本県熊本市

出身地
石川県金沢市

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔昭和6年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和44年〕,フェニックス章〔昭和50年〕,勲一等瑞宝章〔昭和54年〕,グランド・コマンダー・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーナー(ギリシャ)〔昭和63年〕

経歴
住友合資に入社、のち住友化学に移る。常務時代に技術導入、逐次展開方式を採用し、経営手腕をふるう。昭和40年社長に就任、のち会長を経て、相談役。財界活動も積極的で、49年経団連副会長、日経連理事も兼任。56年日米経済協議会代表世話人。学友・村川堅太郎教授の影響で、48年設立の日本ギリシャ協会会長をつとめ、63年ギリシャ政府の外国人最高勲章を受賞した。平成元年世界経営協議会会長、3年名誉会長。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川周重」の解説

長谷川周重 はせがわ-のりしげ

1907-1998 昭和時代経営者
明治40年8月8日生まれ。安宅弥吉娘婿。昭和6年住友合資にはいり,9年住友化学工業にうつる。石炭化学から石油化学への転換をすすめ,のちアルミ精錬部門を拡充。40年社長,52年会長。同社を日本有数の総合化学会社にそだてた。経団連副会長,日米経済協議会会長などをつとめた。平成10年1月3日死去。90歳。熊本県出身。東京帝大卒。
格言など】世界をリードした民族ほど外国を勉強している

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「長谷川周重」の解説

長谷川 周重 (はせがわ のりしげ)

生年月日:1907年8月8日
昭和時代の実業家。住友化学工業会長;日本経営者団体連盟理事
1998年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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