安宅弥吉(読み)アタカ ヤキチ

20世紀日本人名事典 「安宅弥吉」の解説

安宅 弥吉
アタカ ヤキチ

明治〜昭和期の実業家 安宅産業創業者;大阪商工会議所会頭;貴院議員(勅選)。



生年
明治6年4月25日(1873年)

没年
昭和24(1949)年2月5日

出生地
石川県金沢市

学歴〔年〕
東京高商(現・一橋大学)〔明治28年〕卒

経歴
明治28年大阪の貿易商日下部商会に入り、香港支店支配人となる。37年貿易商として独立し、安宅商会(安宅産業の前身)を設立。第1次大戦時の好況発展大正8年株式会社に改組し、昭和17年まで社長を務めた。大阪商工会議所会頭(昭10〜15年)、勅選貴院議員も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安宅弥吉」の意味・わかりやすい解説

安宅弥吉
あたかやきち
(1873―1949)

実業家。石川県石川郡金石(かないわ)町(現金沢市)に生まれる。父の又吉は金融業、肥料などを商う有力商人。1895年(明治28)東京高等商業学校(一橋大学の前身)卒業後、日下部(くさかべ)商会に入社、まもなく香港(ホンコン)支店支配人に就任。1904年(明治37)百三十銀行破綻(はたん)の影響で危機に陥った同商会の営業を継承して安宅商会を設立。取引商品種目は多数に及んだが、とくに1926年(大正15)に八幡(やはた)製鉄の指定商の一つになることによって、鉄鋼業界への飛躍の基盤をつくった。1942年(昭和17)安宅商会を退社。その間、大阪毛織、大阪商船ほかの重役、大正から昭和にかけての18年間大阪商工会議所副会頭、会頭を務め、1939年には貴族院議員となった。

[西村はつ]

『『安宅産業六十年史』(1968)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安宅弥吉」の解説

安宅弥吉 あたか-やきち

1873-1949 明治-昭和時代前期の実業家。
明治6年4月25日生まれ。日下部(くさかべ)商店から明治37年独立し,安宅商会(のちの安宅産業)を設立。大正8年から昭和17年まで社長。大阪商工会議所会頭,貴族院議員をつとめた。昭和24年2月5日死去。77歳。石川県出身。東京高商(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「安宅弥吉」の解説

安宅 弥吉 (あたか やきち)

生年月日:1873年4月25日
明治時代-昭和時代の実業家。安宅産業社長;貴族院議員
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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