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長谷川雪旦 はせがわ せったん

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美術人名辞典の解説

長谷川雪旦

江戸後期の画家。名は宗秀、巌岳斎・一陽庵と号す。通称は後藤右衛門。江戸の人。もと彫刻大工であったという。挿絵をよくし、「江戸名所図絵」は江戸風俗の貴重な資料として知られる。俳諧を好み、五楽と号した。晩年法橋に叙せらる。天保14年(1843)歿、66才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長谷川雪旦 はせがわ-せったん

1778-1843 江戸時代後期の画家。
安永7年生まれ。長谷川雪堤の父。はじめ彫刻大工だったが,雪舟の画風をしたい,長谷川等伯の末流を自称して画工となる。「江戸名所図会(ずえ)」「東都歳事記」の挿絵をかく。晩年に法橋(ほっきょう)となった。天保(てんぽう)14年1月28日死去。66歳。江戸出身。姓は後藤。名は宗秀。通称は茂右衛門。別号に一陽庵,巌岳斎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

長谷川雪旦

没年:天保14.1.28(1843.2.26)
生年:安永7(1778)
江戸末期の画家。名は宗秀。号は巌岳斎,一陽庵,岳斎など。本名は後藤茂右衛門。はじめ江戸下谷(台東区)に住む彫物大工だったが,雪舟を慕い,長谷川等伯に私淑して長谷川雪旦と名乗り画工となった。『江戸名所図会』や『東都歳時記』の挿絵を描き好評を得た。

(川本桂子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長谷川雪旦
はせがわせったん
(1778―1843)

江戸後期の画家。後藤氏、名は宗秀、俗称は茂右衛門(しげえもん)または長之助。雪旦のほか、一陽庵(あん)、巌岳斎、岩岳斎、岳斎と号し、俳号は五楽。桃山時代の巨匠長谷川等伯(とうはく)の末流を自称し、長谷川を画姓とした。江戸の下谷(したや)三枚橋に居住し、彫刻大工から画工となったが、雪舟の流れをくむ漢画の大家として活躍し、晩年法眼(ほうげん)に叙せられる。的確な素描力と、安定した構成力で木版本の挿絵に多くの作品を残した。代表作に『江戸名所図会(ずえ)』(1834~36刊)、『東都歳時記』(1838刊)がある。[小林 忠]

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世界大百科事典内の長谷川雪旦の言及

【江戸名所図会】より

…著者は斎藤長秋・莞斎・月岑(げつしん)の父子三代。挿絵は長谷川雪旦。1834年(天保5),36年須原屋茂兵衛・伊八刊。…

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