長須橋跡(読み)ちようすばしあと

日本歴史地名大系 「長須橋跡」の解説

長須橋跡
ちようすばしあと

[現在地名]吾妻町郷原厚田

江戸時代に郷原ごうばら村と吾妻川南対岸厚田あつだ村に架けられていた橋。万年まんねん橋ともいう。三国街道金井かない宿(現渋川市)から吾妻川対岸横堀よこぼり宿(現北群馬郡子持村)に越えるときはもくばし(現渋川市)で渡河する。吾妻川が増水で渡れない場合は、金井宿から約二〇キロ上流の長須橋を厚田から郷原へ渡り、中之条なかのじよう(現中之条町)より大道だいどう峠を越えて須川すかわ宿(現利根郡新治村)を経て三国峠に通る脇往還で至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む