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門田樸斎 もんでん ぼくさい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

門田樸斎 もんでん-ぼくさい

1797-1873 江戸時代後期の儒者。
寛政9年2月18日生まれ。菅茶山(かん-ちゃざん),頼山陽にまなび,備後(びんご)(広島県)福山藩につかえた。老中となった藩主阿部正弘に攘夷(じょうい)を建言し,侍講を免職された。藩主正方のとき復職。明治6年1月11日死去。77歳。備後出身。本姓は山手。名は重隣。字(あざな)は尭佐。別号に朴斎,朴翁。著作に「朴斎詩鈔」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

門田樸斎

没年:明治6.1.11(1873)
生年:寛政9.2.18(1797.3.16)
江戸後期の漢詩人。名は重隣,字は尭佐,通称は小三郎,正三郎。号は樸(朴)斎。備後(広島県)安那郡百谷村の山手八右衛門の子。外舅門田政周に養われてその姓を嗣いだ。備後神辺の菅茶山の廉塾に学び,いったん茶山の養子となり塾の都講を勤めたが,のち門田氏に復した。茶山没後は頼山陽に師事。文政12(1829)年には福山藩(広島県)に儒者として仕えた。藩主の侍読として攘夷論に基づく時務策を建白し,幕府の老中として開港を進めていた藩主阿部正弘の怒りに触れて免職されたこともあった。<著作>『朴斎詩鈔』<参考文献>小野湖山「樸斎門田先生墓碣銘」(『事実文編』68巻)

(揖斐高)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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