開元寺跡
かいげんじあと
昭和二九年(一九五四)神宮寺集落の南東より出
式造出柱座の礎石一と瓦片若干が発見され、「交野町史」はこれを「興福寺官務牒疏」にみえる開元寺跡とした。また「河内名所図会」にも交野山西麓の元寺滝(源氏滝)の記述に「むかしは、開元寺といふ浄刹の地なり」とあり、礎石発見場所付近に開元寺の伝承があったことを伝えている。創建は礎石より天平期(七二九―七四九)としうる。下限は不確実であるが、「交野町史」は鎌倉期に交野山上へ移転し岩倉開元寺となったとみる。
現状は標高約六五メートルの山麓部の台地状の地形で雑木が繁茂し、礎石は倉治六丁目の教育文化会館の前庭に保存されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 