間崎村(読み)まさきむら

日本歴史地名大系 「間崎村」の解説

間崎村
まさきむら

[現在地名]中村市間崎

津蔵淵つくらぶち村のほぼ北にあり、伊豆田いつた峠付近から流れ出て東北流する津蔵淵川が四万十しまんと川に合流する辺りから上流にかけてを村域とする。「土佐州郡志」は「東西三町許南北二十四町許、戸凡六十、其地多砂、村中有通以南大路」と記す。ここにいう大路は伊豆田峠を越え一之瀬いちのせ(現土佐清水市)へ向かう道で、八十八ヵ所三八番札所足摺あしずり(金剛福寺)への遍路道でもある。

嘉元二年(一三〇四)三月日付の幡多庄津倉淵田畠注進状(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)に、金剛福こんごうふく寺領津倉淵(津蔵淵)の四至を記して「北限間崎ノ小川」とみえる。天正一七年(一五八九)の幡多庄初崎之村津蔵淵村間崎之村地検帳によると間崎村の検地面積四一町四反余、屋敷数五〇うち居屋敷一九。屋敷のうちには間前寺が含まれ、ほかに薬師堂・薬師鎮守権現がみえる。間崎村は藤原氏の出という間崎氏の本拠地で、一条氏の土佐下向に随従して当地に住んだといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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