閔元植(読み)ミン ウォンシク

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「閔元植」の解説

閔元植 ミン-ウォンシク

1887-1921 朝鮮の親日的言論人。
高宗24年7月11日生まれ。閔妃(ミンビ)の甥(おい)。明治31年(1898)来日,副島種臣や土方久元らと交遊。日露戦争後,帰国して内部書記官などをつとめる。三・一独立運動後,国民協会設立,「時事新聞」発刊などを通じて総督府意向にそう形で朝鮮人の参政権運動を展開。大正10年2月16日東京ステーションホテルで朝鮮人に暗殺された。35歳。京畿道出身。

閔元植 びん-げんしょく

ミン-ウォンシク

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む