関兵内(読み)せきのへいない

日本大百科全書(ニッポニカ) 「関兵内」の意味・わかりやすい解説

関兵内
せきのへいない
(1725―1766)

武州児玉(こだま)郡関村(埼玉県美里(みさと)町)の名主で、伝馬(てんま)騒動の首謀者といわれる。1764年(明和1)幕府は、中山道(なかせんどう)交通量の増大を理由にして沿道農村に増助郷(ましすけごう)を命じた。これに反対する兵内は、本庄(ほんじょう)宿周辺の身馴(みなれ)川の十条河原で数千人の農民集会を開き、増助郷免除を幕府に訴えることにした。そのとき彼は「天狗触(てんぐぶ)れ」という廻状(かいじょう)を村々に回したという。これを発端にして江戸時代最大といわれる広域一揆(いっき)が始まり、農民は本庄・深谷(ふかや)・熊谷(くまがや)を打毀(うちこわ)しながら江戸に進む様相をみせた。驚いた幕府は、関東郡代の伊奈半左衛門(いなはんざえもん)に鎮圧を命じたが、彼は農民の要求を受け入れることを約束して事態を収拾した。66年2月、兵内は強訴(ごうそ)の頭取として獄門を申し渡され、伝馬町の牢(ろう)内で処刑された。その後人々は、村内に兵内の供養塔を建立して彼の遺徳をしのんだ。なお、「兵内踊り」の伴奏として歌われる「関兵霊神くどき」は、1863年(文久3)兵内の百年忌を前にしてつくられたという。

中島 明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android