関宿町(読み)せきやどまち

日本歴史地名大系 「関宿町」の解説

関宿町
せきやどまち

面積:二九・八二平方キロ

県の最北西端に位置し、東を利根川、西を江戸川に囲まれる。町域は南北に狭長で、南は野田市に続き、利根川対岸東方は茨城県岩井市・猿島さしまさかい町、江戸川対岸西方は猿島五霞ごか村、埼玉県幸手さつて市・北葛飾郡杉戸すぎと町・庄和しようわ町。境町とは境大橋、幸手市とは関宿橋、庄和町とは宝珠花ほうしゆばな橋で結ばれる。中世には下河辺しもこうべ庄のうちであったと考えられる。一五世紀古河公方足利成氏は当地に関宿城を設け、簗田氏を置いて拠点とし、関東管領上杉氏に対した。一六世紀半ば以降、小田原北条氏は簗田氏と数度にわたる攻防を繰返し、天正二年(一五七四)関宿城は落城、以後当地は北条氏の管轄となる。簗田氏時代より交通の要地として宿(町場)が発達していたが、北条氏はこれら宿の再編を行っている。同一八年の徳川家康の関東入部に伴い関宿城には松平(久松)康元が入部して関宿藩が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報