日本歴史地名大系 「関山街道」の解説 関山街道せきやまかいどう 山形県:東根市関山街道作並(さくなみ)街道ともいう。羽州街道から久野本(くのもと)村で分岐して東進し、天童原・原崎(ばらざき)・山口(やまぐち)村・川原子(かわらご)村(以上現天童市)からは乱(みだれ)川沿いに西原(にしはら)・大滝(おおたき)を通り、関山峠を越え仙台藩領に至る道路。寒風(かんぷう)山(一一一七・三メートル)と面白(おもしろ)山(一二六四・四メートル)の間を標高六三〇メートルで越える関山峠は、峠の登り道が峻険を極め馬による荷物の輸送が不可能なため、人力に頼らざるをえなかった。そのため明治一五年(一八八二)標高五九四メートルの所に関山トンネルが開通するまでは、それほど重要な街道ではなかった。山形専称(せんしよう)寺の開基である願正坊は蓮如の高弟であるが、蓮如から出羽国の布教を命ぜられ関山峠を越えて入国し、文明一五年(一四八三)まで関山村で布教した。初めに入信した又助は「朝夕木樵ニノミ浮身ヲヤツシ仏トモ法トモ弁ヘ知ラヌ」身であったが(「願行寺記録」同寺蔵)、無二の信者となり、願正は次いで川原子村で豪農甚七を教化したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by