山形(読み)ヤマガタ

デジタル大辞泉 「山形」の意味・読み・例文・類語

やまがた【山形】[地名]

東北地方南西部の県。日本海に面する。明治元年(1868)に出羽でわから分かれた羽前うぜんの全域と羽後うごの一部にあたる。人口116.9万(2010)。
山形県中東部の市。県庁所在地。最上氏の城下町として発展、江戸時代は藩主の交代が相次ぎ、幕末には水野氏の城下町。鋳物やサクランボウを産し、ベニバナの集散地。蔵王温泉立石寺などがある。人口25.4万(2010)。

やま‐がた【山形/山型】

山のような形。やまなり。「荷物を―に積む」
鞍の前輪まえわ後輪しずわで、中央部の高くなったところ。
射場の的の後方に張った幕。的皮まとがわ
歌舞伎などの立ち回りの型の一。刀を大きく上段に振りかぶって左右に打ちおろす。
折烏帽子おりえぼしの部分の名。ひなさきの上部で、最も高い部分。
紋所の名。山をかたどったもの。入り山形・違い山形など種類が多い。
江戸吉原の細見で、遊女の源氏名に付けて等級を示すしるし。また、その等級の遊女。一重は部屋持ち、二重は座敷持ち以上を表し、白山形・黒山形、山形に一つ星などのしるしがあった。

やま‐なり【山形】

山のような、中央が高くなった形を描くこと。また、その形。「山形のボール」

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精選版 日本国語大辞典 「山形」の意味・読み・例文・類語

やま‐がた【山形・山型】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 山のような形。中央が高くとがり、左右が斜めに下がっている形。
      1. [初出の実例]「おぼしめす御しんじ申こと、ねんごろにかきとどめ、山がたやうにおしたたみ」(出典:説経節・説経しんとく丸(1648)上)
    2. 灌仏会の時、誕生仏の背後に飾る須彌山(しゅみせん)の作り物。
      1. [初出の実例]「山形二基、一基立青龍形、一基立赤龍形」(出典:延喜式(927)一三)
    3. 射芸で、歩射の的の後方に立てる矢防ぎの布を垂らす台。
      1. [初出の実例]「侯後四許丈張山形紺布之」(出典:内裏式(833)十七日観射式)
    4. 馬具で、鞍橋(くらぼね)の前輪(まえわ)や後輪(しずわ)の中央の高くなっているところ。
      1. [初出の実例]「のりたる鞍の後の山がたをいけづり」(出典:曾我物語(南北朝頃)一)
    5. 唐太刀(からたち)や飾り太刀の帯取(おびとり)を掛ける足金物(あしかなもの)の座につけた連山の形状を示す金物。燧金物(ひうちがなもの)とも。
      1. [初出の実例]「金銀荘作唐大刀一口〈刃長二尺七寸二分〉鋒者両刃、鮫皮褁把、金銀作山形龍鱗葛形平文」(出典:正倉院文書‐天平勝宝八年(756)六月二一日・東大寺献物帳)
    6. 折烏帽子(おりえぼし)の部分の名。ひなさきの上部で、正面から高く見える部分。頂を折り伏せた烏帽子の、もっとも高くそびえている部分。
    7. 歌舞伎などの立回りの型の一つ。刀を大きく上段に振りかぶって、左右に打ちおろすこと。太刀打ちの最初の型で、上段から左に振りおろし、次いで右に振りおろす。刀さばきが山のような形になるところから、この名で呼ばれる。
    8. 紋所の名。山の形をかたどったもの。山形、入山形などがある。
      1. 山形@入山形
        山形@入山形
    9. 屋号の上につける標識。の形状で示すもので入山形、差金山形、花山形などがある。
    10. 江戸吉原の細見で、遊女の源氏名の上につけるしるし。また、その等級の遊女。白山形・黒山形や、山形に一つ星、二つ星などと、遊女の段階に応じて符号があり、揚代の高下の目やすともなっていた。一重の山形は部屋持ちをあらわし、二重の入り山形は座敷持ち以上を示した。山形の星。
      1. [初出の実例]「彼の細見に(ヤマカタ)の有と無のが官位門」(出典:洒落本・廓節要(1799)序)
  2. [ 2 ] ( 山形 )
    1. [ 一 ] 山形県東部の地名。県庁所在地。山形盆地の南部に発達した中世以来の城下町。江戸時代は領主の交替が多く衰退。現在では鋳物・電子機器工業などが行なわれる。明治二二年(一八八九)市制。
    2. [ 二 ]やまがたけん(山形県)」の略。

さん‐けい【山形】

  1. 〘 名詞 〙 山の形。山のなり。山勢。
    1. [初出の実例]「東海道で飛行機の上から富士山を見たが、〈略〉その色彩山形の美しさに、恍惚とするばかりであった」(出典:話の屑籠〈菊池寛〉昭和六年(1931)一〇月)
    2. [その他の文献]〔庾信‐周大将軍侯莫陳君夫人竇氏墓誌銘〕

やま‐なり【山形】

  1. 〘 名詞 〙 山のような形になること。また、その形。やまがた。
    1. [初出の実例]「山形に寝ればなく也閑古鳥」(出典:俳諧・文化句帖‐元年(1804)四月)

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改訂新版 世界大百科事典 「山形」の意味・わかりやすい解説

山形[県] (やまがた)

基本情報
面積=9323.46km2(全国9位) 
人口(2010)=116万8924人(全国35位) 
人口密度(2010)=125.4人/km2(全国42位) 
市町村(2011.10)=13市19町3村 
県庁所在地=山形市(人口=25万4244人) 
県花=ベニバナ 
県木=サクランボ 
県鳥=オシドリ

東北地方南西部に位置する県。北は秋田県,東は宮城県,南は福島県,南西は新潟県に接し,西は日本海に臨む。

県域はかつての出羽国南部,明治の分国後は羽前国全域と羽後国の一部にあたり,江戸時代末期には山形藩,長瀞(ながとろ)藩,天童藩,新庄藩,上山(かみのやま)藩,庄内藩,松山藩,米沢藩米沢新田藩と飛地,天領が入り組んでいた。1868年(明治1)戊辰戦争後出羽国は羽前・羽後両国に分割され,奥羽越列藩同盟に参加した多くの藩は,領地を削減された。また旧天領や庄内藩領に柴橋・尾花沢・酒田各民政局が置かれていたが,翌69年酒田県となって旧天領および没収地を管轄した。一方,長瀞藩は69年上総国大網へ,山形藩は70年近江国朝日山へ移され,1869年には再度の転封命令を免れた庄内藩は大泉藩,松山藩は松嶺藩と改称した。70年酒田県に旧長瀞・山形両藩と飛地とをあわせた山形県が成立,71年廃藩置県を経て天童県を併合した。同年米沢県は置賜(おきたま)県と改称,また山形・松嶺両県の一部と,新庄・上山両県が山形県に,同じく山形・松嶺両県の一部と大泉県が酒田県になり,現県域は3県に統合・整理された。75年酒田県は鶴岡県と改称,次いで76年山形県が鶴岡・置賜両県を併合して現在に至っている。

先縄文時代の遺跡が比較的多く調査されている。上屋地(かみやち)遺跡(西置賜郡飯豊町)B地点では礫層中から礫器や尖頭器などが,A地点では片刃石斧を含む旧石器時代終末期の石器群が出土している。越中山遺跡(鶴岡市)のA地点では両面加工の尖頭器を中心に彫器や掻器など,K地点ではナイフ形石器など,S地点では細石刃および細石刃核,彫器,掻器などが出土している。石材はいずれも硬質ケツ岩が多い。金谷原(かなやつばら)遺跡(寒河江市)では石刃石器群が明らかにされ,いわゆる金谷原型ナイフ形石器の標式遺跡となっている。小国東山(おぐにひがしやま)遺跡(西置賜郡小国町)は東山型ナイフ形石器の標式遺跡。弓張平遺跡(西村山郡西川町)ではナイフ形石器と有舌尖頭器を中心とする石器群が層位的に出土する。

 高畠町洞窟群(東置賜郡高畠町)は同地に分布する洞窟・岩陰の総称で,縄文時代草創期の日向(ひなた)洞窟や一ノ沢岩陰,早期中葉の尼子第Ⅱ岩陰,それに晩期末~続縄文期の観音岩洞穴などがある。吹浦(ふくら)遺跡(飽海郡遊佐町)は前期末,吹浦式土器の標式遺跡である。

 古墳ではまず稲荷森(いなりもり)古墳(南陽市)があげられる。全長約96mの前方後円墳で,後円部は3段築成で葺石(ふきいし)をもち,5世紀代の米沢盆地における有力首長の墓として重要である。長さ3.8mの刳抜式割竹形木棺と弓,竹櫛,曲物,石釧(いしくしろ)などの副葬品をもち,墳丘周囲に丸太を垣のように打ち込んでめぐらすなど特異な古墳として知られる漆山(うるしやま)2号墳(山形市)は衛守塚(えもりづか)とも呼ばれ,径約13m,5世紀代の円墳である。大之越(だいのこし)古墳(山形市)は径15mの円墳。箱形石棺2基をもち,武器,武具,馬具,工具を出土した。5世紀後半に山形盆地一帯を支配した首長墓であろう。赤湯古墳群(南陽市)は置賜盆地の北東に分布する小古墳群から成る。そのうち二色根(にろね)2号墳は径10mの円墳で,横穴式石室内から人骨,和同開珎,青銅銙帯金具,鉄刀,鉄鏃,須恵器などが出土し,他の古墳からは蕨手刀の出土も知られ,全体として古墳時代後期から奈良時代に及ぶ東北地方の代表的群集墳である。

 嶋遺跡(山形市)は古墳時代~奈良時代の集落遺跡。住居や高床倉庫など10棟が確認され,東北地方の第5型式に比定される土師器をはじめとして,建築材などや櫛,玉類などの装身具が出土している。7世紀後半から8世紀という年代が考えられている。出羽国府址かとされる城輪柵(きのわのさく)址(酒田市)は庄内平野北部の平たん地に立地し,東西716m,南北707mの方形の柵址の各辺中央には八脚門,四隅には角楼を配してある。内郭には正殿,後殿,脇殿が配置され,それらを囲んで方形の築地がめぐる。遺物としては土器,瓦,硯,緑釉・灰釉陶器などがある。平安時代としてよいであろう。
出羽国
執筆者:

県域のほぼ中央部を貫流する最上川は,山形県の母なる川と呼ばれている。その流域面積は県域の76%を占め,しかも県内だけを流れる〈1県1河川〉という特徴をもつ。上流から米沢,長井,山形,尾花沢,新庄の内陸諸盆地を,峡谷部をはさみながら数珠状に結んで北流し,新庄盆地で西に向きを変え,出羽山地を最上峡で横断して下流に広大な庄内平野を形成し日本海に注ぐ。上・中流域に開けた内陸諸盆地は扇状地がよく発達し,山形盆地の東半を占める馬見ヶ崎(まみがさき)川,立谷(たちや)川,乱(みだれ)川の三大扇状地が代表的である。五百川(いもがわ)峡谷(長井盆地~山形盆地間),碁点峡(山形~尾花沢間,三難所ともいう),最上峡はかつて盛んであった舟運の難所で,最上川が日本三大急流の一つといわれるゆえんをなす。庄内平野の大部分ははんらん原よりわずかに高い三角州性の低地で,南部に赤川の扇状地が広がる。

 これらの内陸盆地や平野を囲んで東部の宮城県との県境には奥羽山脈を構成する神室(かむろ)山地と船形山,蔵王山の両火山が連なり,県南には奥羽山脈中の吾妻火山と越後山脈中の飯豊(いいで)山が東西に標高1000~2000m級の連山となって福島県との境界をなす。内陸盆地列の西側には出羽山地の月山(がつさん),葉山の両火山があって県域を大きく内陸と庄内とに二分し,庄内平野の北端には出羽山地の最高峰鳥海山が孤立し,丁岳(ひのとだけ)山地に続き秋田県と隔てられる。新潟県と接する県域西部は,飯豊(いいで)山とともに同じ花コウ岩の隆起地塊である朝日山地が越後山脈の北端を占める。月山に続くこれらの山地は日本有数の豪雪地で,その豊富な水源のために多くのダムがあり電源地帯となっている。

 気候上は日本海側気候に属し,周囲の山なみによって盆地,平野ごとにかなりの差がみられる。内陸の諸盆地は内陸性気候で,寒暑の差および昼夜の気温差が大きい。とくに山形盆地の夏は暑く,1933年7月25日には40.8℃の日本最高気温を記録している。しかし朝日山地と出羽山地によって冬の季節風がさえぎられ,積雪量は少ない。一方,冬の季節風が荒川河谷や最上峡の横谷を通って吹き込む米沢盆地や新庄・尾花沢両盆地は北陸地方に比肩する豪雪地で,根雪期間も長い。日本海に面する庄内平野は内陸より温暖であるが,冬は季節風が強く,しばしば地吹雪が道路交通の大きな障害となる。

県内の産業別就業人口(1992)の内訳をみると,第1次産業13.6%,第2次37.6%,第3次48.9%となっている。農業は県の基幹産業ではあるが,県内純生産では10%に達せず,農業人口は減少の一途をたどっている。農業生産の主体は米作と果樹栽培で,米作は全国で5位(1996)の収穫量を占め,果樹生産はミカンなど暖地性のものを除くほとんどの種類を栽培している。江戸時代より庄内米の産地として知られた庄内平野は,県内の水田面積の約4割を占め,水田率が9割と高率で,1戸当り平均経営耕地面積も1.8haと広く,日本の代表的な水田単作地帯である。江戸時代に北楯大堰などの大規模な灌漑事業が行われ,明治に入るといち早く乾田馬耕が導入され,土地改良や基盤整備が進んだ。また篤農家によって発見された〈亀ノ尾〉などの品種改良が行われてきた。今日の機械化や大規模経営,またササニシキを中心とする高収量高品質米の主産地として全国に名を成しているのもそれらの積年の努力の結果である。庄内平野は作付面積,生産量とも県内最大であるが,10aあたり収量をみると,夏季に高温に恵まれる山形盆地が最も土地生産性が高く,山形県が毎年全国1~2位の高収量をあげる中核となっている。

 山形県で生産される果樹は栽培面積と生産量において全国の上位を占めるものが多い。全国生産量(1995)の65%を産するオウトウ(サクランボ)を筆頭に,西洋ナシが全国生産量第1位,ブドウが3位,リンゴが3位など全国有数の生産量をあげており,果樹王国というにふさわしい主産地を形成している。果樹栽培の最も盛んな地域は,山形盆地を中心とする村山地方で,県全体の果樹面積のほぼ70%が集中し,リンゴ,ブドウ,オウトウをはじめ多くの種類の果樹が複合的に栽培されている。近世の主産物であった紅花や青苧(あおそ)(カラムシ),明治中期ごろの桑の栽培に代わって明治30年代から果樹栽培が盛んになった。これは夏季生育期間の高温少雨や,昼夜の気温較差が大きく風が弱いなどの内陸性気候に加えて,乱川扇状地や立谷川扇状地,寒河江(さがえ)川扇状地などの排水のよい砂礫質土壌といった自然条件に恵まれ,1901年奥羽本線山形駅が開設されたことなどによる。第2次大戦後は朝日町や大江町のリンゴ栽培のように丘陵地への拡大もみられ,寒河江や天童には缶詰などの加工工場も設置され,市場条件の不利を補っている。山形盆地では果樹のほか,全国一の生産と栽培面積をもつホップ栽培や,近世から栽培されているタバコなどの換金作物の生産も盛んである。山形盆地に次ぐ果樹生産地は置賜(おきたま)地方で,その核心地はデラウェア種の導入で最も早くブドウの主産地を形成した南陽市赤湯地区や,西洋ナシの主産地高畠町屋代地区などである。また近年月山山麓の丘陵地などで栽培面積の増加した庄内柿(平核無(ひらたねなし)と呼ばれる)は主として北海道などに出荷される。

山形県の工業は,出荷額でみると東北6県では福島,宮城に次ぐ地位にあるが,全国的にみればまだかなり低水準にある。第2次大戦前の山形県の工業は,米沢藩以来の伝統を受けつぐ米沢織物や明治中期から大正期に繁栄した製糸業など置賜地方の繊維工業,ならびに山形市の鋳物・打刃物製造などの伝統工業に加えて,昭和10年代に酒田市大浜臨港地区に形成された化学工場群などが目だつ程度であった。戦後になると,これらに加えて山形市や山辺町のメリヤス工業,寒河江市や天童市の食品加工業,山形市のミシン製造などが盛んになった。1960年代後半に入ると,国道13号線など幹線道路の整備と工業団地造成が進み,弱電関係を中心とする進出工場の立地が相次いで,本県の工業構成は繊維・食品・化学中心から電機や機械など高付加価値の製造業へと比重が移ってきた。県内で最も工業集積の進んだ地域は,県内最大の工業出荷額を有する米沢市(5012億円,1995)で,八幡原工業団地も造成され,電機,機械工業が大きく成長しており,山形市を中心とする村山地方がこれに次いでいる。工業団地では山形市内の工場を移転した立谷川工業団地のほか,山形空港に近い東根市の大森拠点工業団地などにIC関連工場の進出が相次いでいる。拠点工業団地は,ほかに木材家具工業,電機工場の進出している最上地方の新庄・福田地区が開発されており,今後の発展が期待されている。本県唯一の臨海工業地区を形成していた酒田市は,1974年新たに5万トン岸壁を有する酒田北港を建設して,酒田・遊佐工業団地を造成したが,住軽アルミの撤退後は電機,機械工業などが進出している。その他,生産量や生産額は少ないが県内の代表的工業製品としては天童市の将棋駒,山辺町のじゅうたん,河北町の草履表から転換したスリッパなどの地場産業があり,全国市場に出荷している。

近世までの幹線道路は羽州街道で,参勤交代に利用された。しかし経済活動上,最も大きな地位を占めたのは,庄内米の積出港であった酒田港と,内陸部からの庄内米の輸送に利用された最上川の舟運である。最上川舟運に代わって明治中期から始まった近代的交通の発展は,内陸部の分断された盆地や平野を結ぶ峠道の改修と多雪との闘いであったといえる。明治初期に初代県令三島通庸による栗子峠や関山峠,磐根街道の開削は現在の峠路の基礎を築き,奥羽本線の開通(1904)や陸羽西線の開通(1914)などが県内外との地域結合を確立した。奥羽本線と国道13号線は内陸部を南北に走り,米沢,山形,新庄などの都市を結び,庄内では羽越本線,国道7号線が南北に通じて酒田市と鶴岡市を結んでいる。これらの南北に縦貫する幹線交通路を東西に連絡する陸羽西線,米坂線や国道47号,112号,113号線が奥羽山脈を横断して格子状の交通網を形成している。太平洋岸地域とは仙山線や陸羽東線,国道48号線などで連絡している。また奥羽本線の山形~福島間を改軌して,1992年山形新幹線が開通した。現在は,286号線の笹谷峠が完成し,また仙台~山形~酒田を結ぶ山形自動車道も建設されている。東根市に山形空港があり,91年酒田市に庄内空港が開港した。

 県域は自然景観に恵まれ,吾妻火山,出羽三山などを含む磐梯朝日国立公園,蔵王国定公園,鳥海国定公園,栗駒国定公園などを擁し,県立の自然公園を含めるとその面積は県域の17%に達する。山岳観光道路やスキー場の開発も進み,100湯を超える温泉とともに県内外から多数の観光客を集めている。

県内は地勢上,山形盆地,米沢盆地,新庄盆地をそれぞれ中心とする地域と庄内平野を中心とする地域の4地域に大別される。これらの自然地域は近世にはそれぞれ別個の藩領に属するなど歴史的背景が異なり,また行政,経済,交通などの結びつきからもまとまった地域を構成している。

(1)村山地方 県の中東部を占め,最上川中流部に開けた山形盆地を中心に,県都山形市をはじめ天童,上山,寒河江,東根,村山,尾花沢の7市と周辺の7町を含む。県人口の約45%を占め,人口密度も県内で最も高い。また県の行政,経済,文化などすべての機能を集積する山形市を中核とする。周辺の天童市や山辺町は近年人口増加が著しく,山形市の衛星都市化が進んでいる。農村部は稲作と果樹栽培の複合経営が多く,多目的の寒河江ダムの建設や最上川中流農業用水事業などの開発も盛んである。

(2)置賜地方 県の南部を占め,最上川上流部の米沢・長井両盆地と周囲の山地からなり,米沢,長井,南陽の3市と周辺の4町および西部の荒川水系に属する小国町とが含まれる。人口密度は県平均より低い。近世に米沢藩が盆地内に多くの用水堰を造って水田を開き,畑地には桑を植えて養蚕をすすめ,青苧やウルシの栽培を奨励した。明治以降はブドウや西洋ナシ,リンゴなど果樹栽培も導入し,酪農では本県の先進地で米沢牛として知られる和牛飼育も盛んである。奥羽山脈を通る新栗子トンネルが開通してからは高畠町や長井市への弱電部門を中心とした工場の進出が多くみられる。

(3)最上地方 県の北東部を占める。最上川の中・下流部に合流する小国川,指首野(さすの)川,銅山川,鮭川などの支流沿いに開析扇状地,河岸段丘が発達する丘陵性の盆地と周辺の山地からなる。新庄藩の城下町として発達した新庄市と周辺4町3村が含まれる。人口密度は県内で最も低い。積雪の多い寒冷な気候で,暖候季に吹く冷涼なダシ風(東風)や冬の季節風が,最上峡と小国川の横谷を通じて進入しやすい。稲作など農業生産性が低いため過疎化が著しく,出稼ぎが多い。かつて植林と牧馬が盛んであったが,全国一の蓄積量を誇る金山杉はその代表である。製材,木工,家具など資源加工型の工業のほか,近年は弱電関係の工場進出もみられるようになった。

(4)庄内地方 県の北西部,庄内平野を占める。平野のほぼ中央を流れる最上川を挟んで,川北の酒田市と飽海(あくみ)郡の1町,ならびに川南の鶴岡市と東田川郡の2町からなる。鶴岡市は庄内藩の城下町として,酒田市は最上川河口の港町として発達した。いまも両市の商圏などは拮抗し,庄内地方を南北に二分している。庄内平野は古くから用水堰の築造が盛んで,耕地整理が進んだため日本の代表的な水田単作地域となったが,一方では本間家などの大地主の輩出をみた。海岸線を限る庄内砂丘は長さ約35km,幅約2~3kmの大砂丘で,近世以来飛砂防止のためクロマツの砂防林が造成され,砂丘列間ではメロン,スイカ,イチゴなどが栽培されている。
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山形[市] (やまがた)

山形県中央東部に位置する県庁所在都市で,県下一の商工業都市でもある。1889年市制。人口25万4244(2010)。山形盆地の南部に位置し,南は上山(かみのやま)市,北は天童市に接し,市域の東部は蔵王山頂を含む奥羽山脈,西は白鷹丘陵の山地である。奥羽山脈から西流する立谷(たちや)川や馬見ヶ崎(まみがさき)川は盆地東半に扇状地を形成し,中央平野部を北流する須川に注ぐ。気候は内陸性で気温の較差は大きいが,積雪量は年平均20~30cmで県内平地では比較的少ない。市街地中心部は馬見ヶ崎川扇状地の扇端湧水帯から扇央にかけて発達した旧城下町で,南北朝期に斯波兼頼が築城,近世初期に最上義光(よしあき)によって城下町として整備された。最上家改易後は領主の交替があいつぎ,藩領も幕末には5万石にまで縮小したので,侍町は衰微したが,町屋は紅花,青苧(あおそ)(カラムシ)などの集散地として市が開かれ,紅花商人が活躍する村山郡内最大の商業地として発展した。藩主の保護奨励によって生まれた鋳物や鍛冶業の伝統産業はいまも特産品として継承されている。第2次大戦後ミシン部品製造が興り,近年は電気機器,精密機械工業なども発展し,県内では米沢市に次ぐ工業出荷額(1995)をあげている。交通の要地でもあり,奥羽本線が南北に走り,仙山線,左沢(あてらざわ)線が分岐する。1992年山形新幹線の東京~山形間が開通。99年新庄まで延長された。国道13号線(羽州街道)を南北軸に,国道112号線(六十里越街道)で鶴岡市と,286号線(笹谷街道)で仙台市と,348号線で長井方面と結ばれる。山形ジャンクションで山形自動車道と東北中央自動車道が交差する。市域には樹氷とスキーで知られる蔵王国定公園の観光基地蔵王温泉や立石(りつしやく)寺(山寺)(名,史)などの観光地があり,古代集落跡の嶋遺跡(史)や明治初年の洋風建築である旧済生館本館(重要文化財)などもあり,8月6~8日の花笠踊や秋の芋煮会が市民に親しまれている。
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地名の初出は室町期の1455年(康正1)。北朝方の斯波兼頼が1356年(正平11・延文1)その勢力を拡大するため当地に入部し,羽州探題としてこの地方を支配した。斯波氏はのち最上氏を称し,最上義光は1590年(天正18)以後,山形を拠点に最上・村山地方を統一,1601年(慶長6)には57万石の大名となり,城下町の整備・発展を図った。城地は山形盆地南東部,馬見ヶ崎川の沿岸に位置する。山形城は扇状地の西端にあり,その東部を走る羽州街道に沿って七日町,八日町,十日町,旅籠(はたご)町などの商人町,宿場町が並び,東裏通りと北部に職人町があった。その他,町人町は東方の笹谷街道,北西に向かう六十里越街道に沿って並び,町数は33町といわれた。最上氏時代の侍屋敷は三の丸内のほか町屋の外にも置かれたが,1622年(元和8)の最上氏の改易以後,山形藩は大名の交替が多く,しかも20万石から元禄(1688-1704)ころは10万石となり,幕末の水野氏時代には5万石に縮小した。城郭はそのままであったので郭外の侍屋敷がなくなり,郭内も空地が多くなっている。元禄年間には町数30,町屋敷2507軒,家数2157軒,人口1万3031人,寺数70ヵ寺であった。城下町の石高は2万4000石余。この石高は各町が城下町周辺の村々に所持し,出作りしている田畑の生産高であった。

 山形は村山地方の商業の中心であり,陸上交通の要地であるとともに最上川舟運では船町を外港として栄えた。とくに江戸期の特産物,最上紅花を集荷し,これを上方と取引する紅花商人が発達し,明治以後の商業都市の基礎がつくられた。鍛冶町,銅町も古くから発達し,銅製品は梵鐘のほか出羽三山道者のみやげ品として広く知られ,八日町が道者宿として発達している。町政は各町に1~2名の検断,数名の組頭・小走により,旅籠町には本陣,脇本陣があった。明治初期の町数は31町,1876年に山形県庁のほか諸官庁が置かれ,89年の人口は2万8400人,1908年には4万1101人であった。
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山形[村] (やまがた)

長野県中西部,東筑摩郡の村。人口8425(2010)。松本盆地南西部に位置し,西部は飛驒山脈の山地,東部は緩やかに傾斜する開析扇状地である。火山灰土を利用したナガイモ,レタス,アスパラガスなどの野菜栽培を中心にカラマツ苗,花卉類などの畑作が盛ん。明治以降開拓され,田畑の基盤整備,畑地灌漑施設の設置など,早くから農業の近代化が進められた。昭和40年代後半から東接する松本市のベッドタウン化が進み,人口が増加している。清水(きよみず)高原では別荘地の開発が進んでいる。
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山形(岩手) (やまがた)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山形」の意味・わかりやすい解説

山形
やまがた

岩手県北部、九戸郡(くのへぐん)にあった旧村名(山形村(むら))。現在は久慈(くじ)市の西部を占める地域。2006年(平成18)久慈市に合併。北上(きたかみ)高地の北部にあり、旧村域の約95%が山林原野。国道281号が通じる。かつては木炭王国として知られたが、近年は短角牛の飼育が盛ん。久慈川水系の川井川、日野沢川、戸呂町(へろまち)川の流域に畑作中心の集落が点在する。シラカバとツツジの平庭高原(ひらにわこうげん)、奇岩と清流の久慈川渓流は久慈平庭高原県立自然公園に属し、小国(おぐに)の内間木鍾乳洞(うちまぎしょうにゅうどう)は県指定天然記念物。

[金野靜一]

『『山形村誌』複製本(1968・山形村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山形」の意味・わかりやすい解説

山形
やまがた

岩手県北東部,久慈市西部の旧村域。久慈川上流域に位置し,平庭岳,明神岳などの山が連なる。地名は江戸期以来の名称にちなむ。 90%以上が山林原野であるため用材や薪炭,牛馬の産地であった。短角牛の繁殖のほかホウレンソウの栽培が行なわれている。久慈川中流部久慈渓流は平庭高原とともに久慈平庭県立自然公園となっている。

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普及版 字通 「山形」の読み・字形・画数・意味

【山形】さんけい

山の形。

字通「山」の項目を見る

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岩石学辞典 「山形」の解説

山形

ダート・バンド

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