関藤藤陰(読み)せきとう とういん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関藤藤陰」の解説

関藤藤陰 せきとう-とういん

1807-1876 幕末武士,儒者。
文化4年生まれ。関藤政信(まさのぶ)の子。関政方(まさみち)の弟。一時石川姓を称す。頼(らい)山陽にまなび天保(てんぽう)14年備後(びんご)(広島県)福山藩儒官となる。のち家老に就任,幕府老中となった藩主阿部(あべ)正弘を補佐した。明治9年12月29日死去。70歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。名は成章。字(あざな)は君達。通称は和助。著作に「観国録」「蝦夷(えぞ)紀行」など。

関藤藤陰 せきふじ-とういん

せきとう-とういん

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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