日本歴史地名大系 「関門村」の解説 関門村せきかどむら 大分県:大分市旧鶴崎市地区関門村[現在地名]大分市関園(せきぞの) 関門、種具(たねぐ)大野川と乙津(おとづ)川に挟まれた輪中地域の東側大野川沿いに位置し、北は堂園(どうぞの)村。江戸時代を通じて肥後熊本藩領。高田手永洲ヶ在八ヵ村のうち。枝村として大野川対岸の中(なか)ノ瀬(せ)村・百堂(ひやくどう)村があり、庄屋は一人であった(高田風土記)。「肥後国誌」は「中間村・川尻村・大トウ村」などの小村ありと記す。寛永一一年(一六三四)の熊本藩豊後国郷帳に村名がみえ高二二八石余。正保郷帳も同高で、うち田高三三石余・畑高一九四石余、高田(たかた)庄と付記。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by