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閩越 びんえつMin-yue; Min-yüeh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

閩越
びんえつ
Min-yue; Min-yüeh

中国,代に現在の福建省地方に活躍していた越族の一つ,および彼らが建てた国 (前 202~135) 。始皇帝は中国を統一すると,越王の無諸を廃してここに 閩中郡をおいた。秦末に無諸は漢に味方したので,前漢の高祖は高祖5 (前 202) 年無諸を王とし,東冶 (福建省 閩侯県) を都として 閩越国を建てた。王郢 (えい) のとき 閩は東甌 (とうおう) ,南越など周辺の国に侵入した。前漢の武帝は出兵して 閩越を討ったので,郢の弟余善は郢を殺して漢にくだったが,まもなく自立して東越王を名のり,漢もこれを認めた。しかしこの国も 20年余で元封1 (前 110) 年に滅んだ。

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デジタル大辞泉の解説

びんえつ〔ビンヱツ〕【閩越】

中国、時代、現在の福建地方に住んでいた越族。また、この一族が前202年に建てた王国。前135年、漢の武帝に滅ぼされた。

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大辞林 第三版の解説

びんえつ【閩越】

中国、古代、江南の閩江流域を中心に福建地方から台湾などの海島にかけて分布した越族。また、その国。秦・漢時代に閩越王が自立したが、漢の武帝に滅ぼされた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


びんえつ

中国の福建省方面にいた越(えつ)族の一派、また同時に彼らの国をさす。江流域を本拠とした。秦(しん)の始皇帝は中国統一ののち、この付近に中郡を置いたが、名ばかりで、実際には無諸という越の王がいた。漢の高祖劉邦(りゅうほう)はこれを認め、王は東冶(とうや)(福建省侯県付近)を都とした。武帝(在位前141~前87)の時代には強勢となり、北隣の東甌(とうおう)や南隣の南越を侵攻するに至ったので、武帝は兵を出して攻めた。王の郢(えい)はこれに抗したが、王弟余善が王を殺して降(くだ)り国は滅んだ。[藤原利一郎]

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世界大百科事典内の閩越の言及

【越】より

…中国,前漢代前期に越王句践(こうせん)の子孫と称した越族が,閩江(びんこう)流域に閩越国,甌江(おうこう)流域に東越(東甌)国をたてた。秦末,君長の騶無諸(すうむしよ)と騶揺はそれぞれの部族を率いて漢王朝の成立をたすけ,騶無諸は前202年閩越王に,騶揺は前191年東越王に安堵された。…

【越族】より

…越(於越)は文身断髪の習をもち,春秋時代に会稽(かいけい)に建国,前306年ころの滅亡後は各地に散居した。秦から漢にかけて甌越(おうえつ),閩越(びんえつ),南越がそれぞれ甌江,閩江,珠江の下流域に自立したが,漢の武帝に平圧された。山越は三国時代に丹楊(丹陽,江蘇省)を中心に活発に活動した。…

【福建[省]】より

…毎年5,6月は降雨量が最大で,7~9月には台風が災害を起こし,沿海交通を妨げることがある。
[歴史]
 この地方には古くから越族の一派である閩越という原住民がおり,秦の始皇帝は天下を統一するとそこに閩中郡をおいて中国化を図った。しかし,その支配は名目的で,やがて漢初に閩越国(都は東冶(とうや),今日の福州市)として独立したが,武帝のとき滅ぼされ,閩越族は江淮(こうわい)の間に強制移住させられたという。…

※「閩越」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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