阿口村(読み)あくちむら

日本歴史地名大系 「阿口村」の解説

阿口村
あくちむら

[現在地名]北房町阿口

現町域の最北部、標高四〇〇―五〇〇メートルの高原上に広がる村。天文一四年(一五四五)頃の檀那村付帳(肥塚家文書)に「ひつちうの内あさい(呰部)の内あくち(阿口)のくさたに一ゑん」とある。寛永備中国絵図・正保郷帳に村名がみえ、高三一六石余。正保郷帳には枝村草谷くさたに村・すぎ村・さかい村を記す。元禄八年(一六九五)の旧松山領新高帳(羽場文書)によれば、古高四六七石余・新高五九一石余。安政二年(一八五五)の宗門改人数寄目録(林文書)では、家数九八・人数四三六。領主変遷上呰部かみあざい村に同じ。庄屋は山田氏が務めた(備中村鑑)。当村の庄屋弥三郎が記した寛政元年(一七八九)の巡見使案内之者答書手控(山田文書)によると、新見藩は元禄七―八年に行われた幕府検地が過酷であったことを認め、旧松山藩領の困窮衰微の原因としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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