阿多野新田(読み)あだのしんでん

日本歴史地名大系 「阿多野新田」の解説

阿多野新田
あだのしんでん

[現在地名]小山町阿多野

菅沼すがぬま村の西、川中流右岸の標高四〇〇メートル余の通称阿多野原に位置する。阿多野用水竣工により、菅沼村などの地内であった阿多野原の荒蕪地を開発して成立した新田村で、西は吉久保よしくぼ村。永禄一二年(一五六九)一二月、甲斐武田信玄は深沢ふかさわ(現御殿場市)攻略をめざし籠坂かごさか峠を越え、御厨みくりや地方に侵攻した。足柄あしがら城の北条勢はその状況を北条氏康に「敵本陣を払、滝之沢を取越、あたの原へ打出」と注進している(一二月一八日「北条氏康書状」岡部文書)

寛文八年(一六六八)当新田開発の出資者(金本)である江戸材木ざいもく町石屋善左衛門と発起者である湯船ゆぶね名主市左衛門が連名で相模小田原藩に提出した開発の一札(池谷家文書)によると、開発地の一〇分の一は開発者が所持すること、鍬下年季は七年とすること、開発に入用なものについて訴訟を起こさないこと、開発後の堤溝の修理は開発者があたることなどを約している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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