阿多野用水
あだのようすい
阿多野新田開発のため建設された用水路。鮎沢川の支流須川上流の木賀沢の水を水源とし、大御神・棚頭村境の布引滝を取入口とする。寛文八年(一六六八)江戸材木町石屋善左衛門と湯船村名主市左衛門によって阿多野原の開発が始められる。「阿多野新田開拓沿革史」によると、工事は大御神村と棚頭村との境付近に長さ五〇間・横三二間の溜池を築造、そこに縦一丈・横八尺の水門を設けて八間余りの樋を架け、下の掘抜き水路に流す計画で、阿多野原までの用水路は五千九八一間に及び、うち五ヵ所、延べ四五三間は隧道であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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