阿弥陀院跡(読み)あみだいんあと

日本歴史地名大系 「阿弥陀院跡」の解説

阿弥陀院跡
あみだいんあと

[現在地名]水府村中染 横川

横川よこかわの西寄り山麓に真言宗雷鼓山如意輪によいりん持宝じほう院跡があり、近くの同宗阿弥陀院跡地に阿弥陀堂がある。両院とも元治元年(一八六四)の水戸藩党争の折に焼失したが、阿弥陀院の本尊鉄仏の阿弥陀如来立像は損傷せず残ったので、地元民が小堂を建て保存してきた。

持宝院は玉造たまづくり(現金砂郷村)弥勒みろく院末で除地六石余を有し、阿弥陀院は東金砂山東清とうせい寺末であった。阿弥陀院の阿弥陀如来立像は等身大(一六四センチ)で、その背銘には「奉冶鋳法然寺阿弥陀如来像 大檀那桐原左衛門入道祭立 大工権守入道西念 勧進僧立仏房生年五十六 仏師日向房良覚 弘長四年甲子四月二十六日」とある。


阿弥陀院跡
あみだいんあと

[現在地名]笠間市箱田

箱田はこだ東端にある。当寺はもと真言宗の醍醐光台院の末寺で金亀山阿弥陀院無量寿寺と号した。建永元年(一二〇六)弁海の開山。弁海は笠間時朝の家臣入江忠重の縁で当地に居住したが、時朝も弁海に帰依し、山林を切開いて建立し、のち笠間氏代々の祈願寺となる。本尊は阿弥陀如来像で脇侍の観音菩薩像には時朝の銘、勢至菩薩像には元暦元年(一一八四)の銘があったと伝えられている(笠間城記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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