日本歴史地名大系 「阿波崎城跡」の解説
阿波崎城跡
あばさきじようあと
西から東へ突出した半島状丘陵の最東端、字
城主・築城の時期などは不明であるが、「神皇正統記」に「東ヲサシテ常陸国ナル内ノ海ニツキタル船ハベリキ」とあるように、南北朝期の延元三年(一三三八)東国経営のため伊勢大湊を発した北畠親房は台風のため訖、其後阿波崎城罷向之処、所々御敵等、為後攻引率多勢寄来之間、馳向致散々合戦、打散御敵之処、阿波崎城令没落訖」とあり、当城もまた神宮寺城落城後、落城し、親房らは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報