阿波崎城跡(読み)あばさきじようあと

日本歴史地名大系 「阿波崎城跡」の解説

阿波崎城跡
あばさきじようあと

[現在地名]東村阿波崎

西から東へ突出した半島状丘陵の最東端、字天神台てんじんだいにある。城跡の標高は三三メートルで当地の最高点にあたり、霞ヶ浦・筑波山を眺望できる要害の地である。県指定史跡。

城主築城の時期などは不明であるが、「神皇正統記」に「東ヲサシテ常陸国ナル内ノ海ニツキタル船ハベリキ」とあるように、南北朝期の延元三年(一三三八)東国経営のため伊勢大湊を発した北畠親房は台風のため東条とうじよう庄に漂着し、当城および神宮寺じんぐうじ(現桜川村)に拠って北朝方の鹿島一族と戦った。建武五年(一三三八)一〇月日の烟田時幹軍忠状案(烟田文書)に「右吉野没落朝敵人北畠源大納言入道以下凶徒等、経海路、当国東条庄著岸之間、為誅伐之、被発向之間、時幹罷向之処、今年(十月)五日、押寄神宮寺城、致至極合戦之処、(中略)如此致忠節、追落御敵等、令対治城訖、其後阿波崎城罷向之処、所々御敵等、為後攻引率多勢寄来之間、馳向致散々合戦、打散御敵之処、阿波崎城令没落訖」とあり、当城もまた神宮寺城落城後、落城し、親房らは小田おだ(現筑波郡筑波町)に向かう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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