日本歴史地名大系 「阿護の浦」の解説 阿護の浦あぐのうら 沖縄県:慶良間諸島座間味村阿佐村阿護の浦[現在地名]座間味村阿佐座間味島の東部にある浦。南に開いた入江で、あがた牧治(まきじ)と留加比(るかひ)の鼻に挟まれた入口より北側が広く、湖を思わせる静かなたたずまいをみせる。当浦は中国大陸に向かう進貢船や、中国から首里王府に派遣された冊封船の寄港地として利用された。乾隆二一年(一七五六)王府の迎船が逆風のため座間味(じやまん)間切の与辺名(ゆひな)浦・喜瀬(ちし)浦(いずれも阿佐村内)に係留、翌年一月一〇日冊封船が順風に恵まれず、「馬歯山安護浦」に停泊、二月四日渡海のため出帆している(「球陽」尚穆王五年条)。嘉慶五年(一八〇〇)一〇月清に帰る冊封使船が那覇を出て阿護浦に湾泊しているが(同書尚温王六年条)、冊封副使李鼎元は泊処の「安護浦」について「青山囲繞し、出路無し。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by