改訂新版 世界大百科事典 の解説
阿賀野川有機水銀中毒事件 (あがのがわゆうきすいぎんちゅうどくじけん)
一般には新潟水俣病(みなまたびよう)事件と呼ばれている。1965年6月,新潟大学椿忠雄が新潟県下の阿賀野川下流流域に居住する漁民に水俣病患者が集団的に発生していると公表した。原因は,河口から六十数km上流にある昭和電工鹿瀬(かのせ)工場のアセトアルデヒド製造工程から流された排水中のメチル水銀化合物によるものであったが,昭和電工は,新潟地震の際,新潟港埠頭(ふとう)倉庫に保管されていた水銀農薬が津波に流され,信濃川から日本海に出,塩水くさびによって阿賀野川下流を汚染したとして抗争したため,67年6月,患者が昭和電工を被告とする日本初の本格的公害裁判を提起した。71年9月,新潟地方裁判所は,原告患者全面勝訴の判決をだし,この裁判は確定した。患者とその支援団体は,引き続き昭和電工と直接交渉を行い,73年6月,患者の要求をほぼ完全に認めた補償協定が締結され,新たな患者も救済された。しかし,その後,国の水俣病認定基準が厳しくなり,水俣病認定申請を棄却される者が続出するに及び,再び社会問題化している。82年6月,これら〈未認定患者〉は,新潟水俣病を引き起こした根源的な責任は国にあるとして国をも被告とする国家賠償裁判を提起,その後1995年12月に和解が成立した。
→水俣病
執筆者:坂東 克彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報