院庄村(読み)いんのしようむら

日本歴史地名大系 「院庄村」の解説

院庄村
いんのしようむら

[現在地名]津山市院庄

二宮にのみや村の西に位置し、村域の南側三方を吉井川が取囲むように迂回して東流する。村名の由来は、後鳥羽院の庄園であったためと伝える(作陽誌)。貞和三年(一三四七)六月二四日の刑部守延譲状(広峯文書)に院庄の地名があり、播磨国広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)の檀那地であったことがわかる。「太平記」巻四(備後三郎高徳事)によれば、元弘二年(一三三二)醍醐天皇隠岐に流された時、院庄は行在所となった。この地は鎌倉時代の美作守護の館所在地と推定されており、現在の神戸の作楽じんごのさくら神社鎮座地一帯とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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