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陳友仁 ちんゆうじんChen You-ren; Eugene Chen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陳友仁
ちんゆうじん
Chen You-ren; Eugene Chen

[生]光緒4(1878).トリニダード島
[没]1944.5.20. 上海
中国の政治家,外交官。父は広東省人,母はトリニダード島生れ。イギリスで教育を受けたのち弁護士となり,1912年帰国して北京政府法律顧問,『北京ガゼット』編集長を経て,19年南方特派委員としてパリ講和会議に出席。 20年帰国後孫文に重用され,22~24年広東政府外交顧問。 26年広東国民政府外交部長,国民党中央執行委員となり,のち武漢国民政府外交部長に任命されて革命外交を推進した。国共分裂後は外交部長を辞任,宋慶齢らとともにモスクワに亡命。帰国後は反蒋運動に参加し,33年 11月福建人民政府が成立すると外交部長に任命されたが,34年1月同政府崩壊後はフランスに亡命し弁護士を開業した。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちんゆうじん【陳友仁 Chén Yŏu rén】

1878‐1944
中国の政治家,外交家。南米英領トリニダード生れの広東人。Eugene Chenともよぶ。イギリスで法律を学ぶ。民国成立後数年間は北京政府に接近していたが,やがて親日派グループと衝突し,上海に移って孫文に従った。パリ講和会議が開かれると,現地に赴いて情宣活動を担当し,大いに名を挙げた。孫文没後は,国民党左派の立場を維持しつつ,同党系各政府の外交部長を歴任した。また,1934年の福建人民政府の外交部長にもなったが,その崩壊とともに政界から引退した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陳友仁
ちんゆうじん / チェンユーレン
(1878―1944)

中国国民党左派の政治家、外交官。西インド諸島のイギリス領トリニダードで生まれた広東(カントン)人。イギリスで法廷弁護士の訓練を受け、1911年孫文(そんぶん)を知る。1912年北京(ペキン)に戻り、『ペキン・ガゼット』紙で反袁世凱(えんせいがい)の論陣を張った。1919年パリ講和会議中国代表の顧問となる。1920年上海(シャンハイ)に戻り『シャンハイ・ガゼット』紙を創刊、孫文の外交顧問を務め、孫文‐ヨッフェ(ソ連使節)会談に加わってから反帝・愛国の主張を強めた。1926年国民党中央執行委員、武漢国民政府の外交部長に就任、1927年漢口・九江のイギリス租界回収に成功した。1934年福建人民政府の外交部長となったが、同政府の崩壊によりパリに亡命。1938年香港(ホンコン)に戻り、日本の香港占領で拘禁されたのち、上海で言論活動に従事した。[加藤祐三]

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