日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳友仁」の意味・わかりやすい解説
陳友仁
ちんゆうじん / チェンユーレン
(1878―1944)
中国国民党左派の政治家、外交官。西インド諸島のイギリス領トリニダードで生まれた広東(カントン)人。イギリスで法廷弁護士の訓練を受け、1911年孫文(そんぶん)を知る。1912年北京(ペキン)に戻り、『ペキン・ガゼット』紙で反袁世凱(えんせいがい)の論陣を張った。1919年パリ講和会議中国代表の顧問となる。1920年上海(シャンハイ)に戻り『シャンハイ・ガゼット』紙を創刊、孫文の外交顧問を務め、孫文‐ヨッフェ(ソ連使節)会談に加わってから反帝・愛国の主張を強めた。1926年国民党中央執行委員、武漢国民政府の外交部長に就任、1927年漢口・九江のイギリス租界回収に成功した。1934年福建人民政府の外交部長となったが、同政府の崩壊によりパリに亡命。1938年香港(ホンコン)に戻り、日本の香港占領で拘禁されたのち、上海で言論活動に従事した。
[加藤祐三]