日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳鴻」の意味・わかりやすい解説
陳鴻
ちんこう
生没年不詳。中国、中唐の史学者、小説作者。805年(永貞1)に進士に合格、歴史書『大統記』を書き、尚書主客郎中になった。806年友人の白居易(はくきょい)および王質夫(おうしつふ)と厔(ちゅうしつ)(陝西(せんせい)省)の仙遊寺に遊び、玄宗(げんそう)と楊貴妃(ようきひ)のロマンスを語り合い、『長恨歌伝(ちょうごんかでん)』を書いた。『長恨歌伝』は「長恨伝」ともいい、王質夫が白居易に勧めて長編物語詩『長恨歌』をつくらせたあと、陳鴻にその解説として書かせたものである。内容は、愛する元献皇后や武淑妃(ぶしゅくひ)を失って落胆していた玄宗は、楊玄琰(ようげんえん)の娘を貴妃に冊立(さくりつ)して寵愛(ちょうあい)する。楊一族は権勢を振るい、ことに楊国忠は宰相となって専横の行為が多く、ついに安禄山(あんろくざん)の乱を引き起こす。玄宗は成都に亡命の途中、馬隗亭(ばかいてい)で軍人に迫られて貴妃を殺す。乱後、玄宗は貴妃を忘れられず、道士に彼女の魂を捜させる。伝言と証拠の金の釵(かんざし)と螺鈿(らでん)の盒子(ごうす)を得た玄宗はいよいよ悲しみに暮れる、という筋。
[内山知也]