螺鈿(読み)らでん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

螺鈿
らでん

漆工芸品の加飾法の一つ。,鈿は物を飾る意味で,貝殻文様に切り,器物の表面に張付け,あるいは象眼 (ぞうがん) して漆で固定したもの。貝は古くは夜光貝蝶貝などを用い,近世はあわびを使用することが多い。日本では中国,唐代の螺鈿が伝わって奈良時代に始り,正倉院宝物中に多数精巧な作例がある。平安時代には室内調度のほかに建築装飾にも応用され,鎌倉時代にかけて大いに流行した。室町時代には,中国螺鈿の影響を受けて薄貝の技法が盛んになり,桃山~江戸時代には朝鮮螺鈿 (→高麗螺鈿 , 李朝螺鈿 ) の影響で割貝,微塵貝などの技法や貝の染色が行われ,調度,装身具,刀装具などに多用された。

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デジタル大辞泉の解説

ら‐でん【××鈿】

ヤコウガイオウムガイなどの貝殻の真珠色に光る部分を磨いて薄片にし、種々の形に切って漆器や木地の表面にはめ込み、または貼(は)りつけて装飾する工芸技法。日本には奈良時代に中国から伝えられ、平安時代には蒔絵(まきえ)にも併用された。摺(す)り貝。
[補説]書名別項。→螺鈿

らでん【螺鈿】[書名]

太田水穂歌集。昭和15年(1940)刊行。

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百科事典マイペディアの解説

螺鈿【らでん】

螺は貝,鈿は物を飾るの意で,貝の真珠質の部分を文様に切り,平らにみがいて漆地または木地にはめこんだり,はりつけたりして装飾したもの。日本には奈良時代に唐の技法が伝えられ,《螺鈿紫檀五絃琵琶》などすぐれた遺例が正倉院に多数ある。平安時代以降蒔絵(まきえ)と併用されて盛んに行われ,室町時代に明の技法をとり入れ,薄い貝を用いた青貝法によるものが多く作られた。
→関連項目印籠毛彫漆器二階棚寄木細工琉球文化

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世界大百科事典 第2版の解説

らでん【螺鈿】

ヤコウガイやアワビなどの貝殻を板状に裁断し,研磨して各種の厚さにしたものを文様に整え,木地や漆地に装飾する技法。技法は多様で,文様に彫り込んで貝を埋めるもの,平面に貼りつけて漆地で埋め込む法,酸で腐食させて文様を作り出す法,貝の裏に金箔を貼ったり墨を塗る法,また貝を砕き細片にして漆地に蒔きつける法などがある。螺は巻貝をさし,鈿は嵌装の意。中国では陥蚌(かんぽう),坎螺(かんら),螺塡(らてん)などともいう。

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大辞林 第三版の解説

らでん【螺鈿】

漆工芸技法の一。貝殻の真珠光を放つ部分を磨り平らにして細かく切り、文様の形に漆器や木地にはめこんで装飾するもの。中国唐代に発達、日本へは奈良時代に伝来、平安時代には盛んに蒔絵まきえに併用された。薄い貝を用いたものは特に青貝ともいう。摺り貝。 「 -細工ざいく

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家とインテリアの用語がわかる辞典の解説

らでん【螺鈿】

工芸技法の一つ。貝殻の真珠色に光る部分を薄片にし、模様の形に切って漆地や木地などにはめ込んで装飾とするもの。夜光貝(やこうがい)・鮑(あわび)・蝶貝(ちょうがい)などを用いる。日本には奈良時代に唐(中国)から伝わった。

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食器・調理器具がわかる辞典の解説

らでん【螺鈿】

漆(うるし)工芸や木工芸の加飾技法の一種。夜光貝(やこうがい)、鮑(あわび)、蝶貝(ちょうがい)などの貝殻の内側にある真珠質の部分を文様の形に切り、漆地または木地にはめ込んだり、張ったりして装飾とする技法。日本には奈良時代に唐から伝わった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

螺鈿
らでん

漆工芸の加飾技法の一種。貝殻を荒砥(あらと)やグラインダーなどで各種の厚さに摺(す)ったものを文様に切り、木地(きじ)や漆地(うるしじ)の面に貼(は)り付けたり、はめ込んで装飾する技法。
 螺鈿の名称は、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)8年(756)の『東大寺献物(けんもつ)帳』に記載のものがもっとも古い。まだ文献にはみえないが、中国・唐の用語と思われ、後世宋(そう)代の『爾雅翼(じがよく)』に鈿螺の文字がある。類語として他の文献では坎螺(かんら)(せんでん)(でんかん)、鈿螺(でんら)、陥蚌(かんほう)と異称し、(でん)、甸(でん)、填(でん)の文字を鈿にあてている。日本では、平安時代以降に、貝摺(かいすり)、青螺(あおかい)、青貝という用例がみられ、また螺鈿、鈿螺、螺填、(でんかん)と書いて「アヲカヒ」と呼称している。螺はもともと栄螺(さざえ)のような渦巻形の貝殻をさしたが、鮑(あわび)貝、夜光貝、蝶(ちょう)貝、鸚鵡(おうむ)貝、蜆(しじみ)貝、メキシコ貝なども用いる。摺った貝板の厚さは100枚重ねを単位とし、2分5厘(8.25ミリメートル)のものは薄貝、これより薄いものを絹磨(ず)りという。厚貝は4寸(132ミリメートル)のもので、より厚さを要するときは丸貝を用いることもある。鈿の原意は金華(かねかざり)で、黄金の髪飾りをさし、玉(ぎょく)や貝で飾ることをも称するようになった。[郷家忠臣]

技法

まず貝板から文様をつくる方法は、大別して次の3種に分けられる。(1)切り抜き法 厚貝に適し、糸鋸(いとのこ)で挽(ひ)いたのち鑢(やすり)や砥石(といし)で仕上げる。(2)打ち抜き法 薄い貝板を型で打ち抜く方法で、鏨(たがね)を用いる。(3)腐食法 薬品(塩酸)を用いるもので、薄貝を貼ってから表面に文様を漆で描き、その上を塩酸のついた刷毛(はけ)でなでると、漆のない部分は腐食して消滅する。それをすぐ水洗いして漆を剥(は)ぐ方法。
 次に貝板を木地に接着する方法としては、(1)木地を彫り込み、そこへ貝板をはめる嵌入(かんにゅう)法。(2)木地に貝板を貼り、周りを漆で塗り埋めたのちに研ぎ出す付着法。(3)厚く漆を塗った地に貝板を押し込む押し込み法などがある。[郷家忠臣]

歴史

螺鈿の起源は明らかではないが、古代エジプトのハダク文化期(前3500ころ)の装身具や器物に、貝殻を細工した装飾例がみられるところから、地中海沿岸の諸国に伝わり、しだいに加飾法として進展したものと思われる。
 東洋における螺鈿は、中国の殷(いん)代にすでにあったとする説と、ササン朝ペルシアをはじめとする西方の国々からシルク・ロードを経て唐に流入したとする説があり、後者が有力である。このことは、正倉院に伝わる西方系の楽器である螺鈿紫檀琵琶(したんびわ)や、螺鈿紫檀五絃(ごげん)琵琶、玳瑁(たいまい)螺鈿箜篌(くご)などから推測される。また正倉院の沈香木画箱にみられるように、紫檀材などの木地に琥珀(こはく)、玳瑁(べっこう)、水晶、珊瑚(さんご)、象牙(ぞうげ)、玉(ぎょく)などを併用している。正倉院宝物の漆地の螺鈿品は、螺鈿箱、箜篌の2点しかみられないので、螺鈿は本来、漆工よりもむしろ木工技術のもとにあったとする説もある。螺鈿はまた金工品にも施された。わが国では正倉院の平螺鈿背(へいらでんはい)円鏡をはじめ8面の遺例があり、中国には1962年に河南省洛陽(らくよう)の16工区76号唐墓から発見の花鳥人物文平螺鈿背鏡、韓国にも同種の鏡が出土するなど、国際化を証する好例である。
 平安時代には、唐風の木地螺鈿から漆地螺鈿へと主流が移ってゆくが、とくに表現・技法の面で和様化を遂げるのは、藤原道長が政治を支配した11世紀初めごろで、貴族の室内調度に蒔絵(まきえ)と螺鈿の技術の併用もみられるようになる。黒漆地螺鈿の代表的遺例に洲浜鵜(すはまう)螺鈿硯箱(すずりばこ)や鳳凰(ほうおう)円文螺鈿唐櫃(からびつ)、萩(はぎ)螺鈿鞍(くら)(ともに東京国立博物館)があげられ、蒔絵との併用では片輪車(かたわぐるま)螺鈿蒔絵手箱(国宝、東京国立博物館)、沢千鳥(さわちどり)螺鈿蒔絵小唐櫃(国宝、和歌山・金剛峯寺(こんごうぶじ))がある。日本の景勝、風物に基づく意匠が繊細優美な感覚によって表されており、10世紀末ごろにはすでに中国、朝鮮でも高く評価された。988年(永延2)に(ちょうねん)が弟子嘉因(かいん)に託して宋の王室への進物品に螺鈿の品々を贈ったり、1015年(長和4)に藤原道長が宋の天台山大慈寺に螺鈿蒔絵厨子(ずし)などを寄進している。また1073年(延久5)、高麗(こうらい)の王室へ鞍、鏡箱、硯箱などを王則貞らが贈っている。とくに注目すべきは、北宋の方勺(ほうしゃく)が著した『泊宅編』に「螺鈿器はもと倭(わ)国に出(い)ずる。物象百態、頗(すこぶ)る工巧を極む」とあって、螺鈿技術のおこりが日本であり、多様な意匠が精巧を極めていると評価していることである。このことは螺鈿の中国での衰微をも示している。
 鎌倉時代にはますます螺鈿の技術は進み、時雨(しぐれ)螺鈿鞍(国宝、東京・永青文庫)では不整形の曲面に螺鈿だけで絵画的な文様と文字を表した巧緻(こうち)な技にまで達している。朝鮮の螺鈿が著しく発達したのも高麗時代(918~1392)以降で、官営の「中尚署」で螺鈿匠によって制作され、中国宋朝で非常に尊重されたことが文献によって知られる。1272年には「鈿函造成都監」を設け、『大蔵経』を納める箱を大量に制作した。高麗(こうらい)螺鈿は、立菊や菊唐草の文様からなり、縁には連珠文や星形などを巡らし、境界線や茎などに銀、錫(すず)、真鍮(しんちゅう)の縒(より)線を用い、貝裏に彩色したり、玳瑁を貼るなどの技法もみられ、わが国にも菊花文螺鈿経箱(東京国立博物館)や花文螺鈿玳瑁合子(奈良・當麻(たいま)寺奥院)の遺例がある。
 室町時代には日本の螺鈿は低迷したが、中国明(みん)代の薄貝を用いる技術が新たに伝わる。さらに桃山時代には、李朝(りちょう)期の朝鮮から割貝法や青貝法が伝わって、織田有楽斎(おだうらくさい)の考案という明月椀(めいげつわん)や、南蛮意匠の器物に応用されている。江戸時代には鮑の厚貝を使い独得な表現を試みた尾形光琳(こうりん)や、薄貝でモザイク文様を表した杣田光正(そまだみつまさ)、彫刻した貝を嵌入する芝山仙蔵などの精巧ではでな作品が世に出た。なお沖縄にも青貝法が伝わり、精緻な杣田細工が琉球(りゅうきゅう)漆器に活用された。[郷家忠臣]
『荒川浩和著『螺鈿』(1985・同朋舎出版) ▽河田貞編『日本の美術211 螺鈿』(1983・至文堂)』

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世界大百科事典内の螺鈿の言及

【漆工芸】より

…おもなものには青海波塗,津軽塗,竹塗,七子塗,紫檀塗,石目塗がある。 加飾法には蒔絵沈金螺鈿(青貝),彫漆,箔絵,錆絵(さびえ),漆絵蒟醬(きんま),平脱(平文(ひようもん)),堆錦(ついきん),密陀絵などがある。それぞれ,時代や地域によって多くの種類が生み出された。…

【李朝美術】より

…象嵌は火鉢,煙草箱,印章箱,燭台,馬具などの鉄や真鍮(しんちゆう)の台に施され,実用性を兼ね備えた美しい意匠を完成させている。漆工では螺鈿(らでん)に特徴を発揮した。高麗螺鈿のように器面全体を細かな文様で埋め尽くすものとは対照的に,李朝螺鈿は厚貝を使用し,後期の青花磁器の文様に似て,地を大きくとりそこに蓮池水禽(れんちすいきん)や葡萄といった絵画的な模様,四君子(しくんし)などの文人好みの文様,あるいは十長生などの吉祥文様をおおらかに配している。…

※「螺鈿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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