陶弘護(読み)すえ ひろもり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「陶弘護」の解説

陶弘護 すえ-ひろもり

1455-1482 室町時代武将
康正(こうしょう)元年9月3日生まれ。陶弘房の子。大内政弘家臣。文明2年周防(すおう)守護代となる。翌年反乱をおこした大内教幸(のりゆき)をほろぼし,10年筑前(ちくぜん)守護代として少弐氏征討にしたがう。14年5月27日石見(いわみ)の吉見信頼(よしみ-のぶより)とさしちがえて死去。28歳。幼名は鶴寿丸。通称五郎

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367日誕生日大事典 「陶弘護」の解説

陶弘護 (すえひろもり)

生年月日:1455年9月3日
室町時代;戦国時代の武将
1482年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の陶弘護の言及

【陶氏】より

…室町・戦国時代の周防の豪族。大内氏の庶流。源平時代の大内介盛房の弟盛長が右田氏を興し,その曾孫弘賢が周防吉敷郡陶村を領して陶氏を称したのに始まる。その子弘政が南北朝時代に周防都濃郡富田保の地頭職を得て以降,富田に本拠を移し,国衙領(東大寺領)を横領して基盤を築いた。次の弘長は1401年(応永8)長門守護代となり,盛長,盛政に受け継がれた。周防守護代は32年(永享4)盛政の就任以来陶氏の世襲となり,大内家中に重きをなした。…

※「陶弘護」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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