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陶弘護 すえ ひろもり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

陶弘護 すえ-ひろもり

1455-1482 室町時代の武将。
康正(こうしょう)元年9月3日生まれ。陶弘房の子。大内政弘の家臣。文明2年周防(すおう)守護代となる。翌年反乱をおこした大内教幸(のりゆき)をほろぼし,10年筑前(ちくぜん)守護代として少弐氏征討にしたがう。14年5月27日石見(いわみ)の吉見信頼(よしみ-のぶより)とさしちがえて死去。28歳。幼名は鶴寿丸。通称は五郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

陶弘護

没年:文明14.5.28(1482.6.14)
生年:康正1.9.3(1455.10.13)
室町・戦国時代初期の武将。大内氏の家臣で,周防(山口県)守護代。鶴寿丸,五郎,尾張守。父は弘房,母は仁保盛郷の娘。山口に生まれる。幼少より優秀で,和歌にも秀でていた。文明1(1469)年元服し,大内政弘の諱の1字をもらい弘護と名乗る。政弘が応仁の乱で上洛したときは,その留守を守った。同3年には反乱を起こした大内教幸を敗死せしめ,同7年に吉見信頼軍を下した。政弘帰国後の同10年には筑前(福岡県)守護代に任ぜられたが,翌年辞任。14年5月28日,政弘の設けた宴席で信頼と刺し違えて死す。

(佐伯弘次)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の陶弘護の言及

【陶氏】より

…室町・戦国時代の周防の豪族。大内氏の庶流。源平時代の大内介盛房の弟盛長が右田氏を興し,その曾孫弘賢が周防吉敷郡陶村を領して陶氏を称したのに始まる。その子弘政が南北朝時代に周防都濃郡富田保の地頭職を得て以降,富田に本拠を移し,国衙領(東大寺領)を横領して基盤を築いた。次の弘長は1401年(応永8)長門守護代となり,盛長,盛政に受け継がれた。周防守護代は32年(永享4)盛政の就任以来陶氏の世襲となり,大内家中に重きをなした。…

※「陶弘護」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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