日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウッチェロ」の意味・わかりやすい解説
ウッチェロ
うっちぇろ
Uccello
(1397―1475)
イタリアの初期ルネサンスの画家兼モザイク師。ウッチェロ(鳥の意)は通称で、本名をパオロ・ディ・ドーノPaolo di Donoといい、フィレンツェに生まれ、同地に没した。彼はとくに透視画法の研究者としてよく知られており、イタリア15世紀の著名画家の一人にあげられるのは、独自のやや誇張された透視画法の運用によるといえる。彫刻家ギベルティの工房の助手から出発するが、ここでの修業(1407~14/15)を経て、1425年ベネチアに赴き、サン・マルコ大聖堂でモザイクの制作に従事した。31年初頭フィレンツェに帰り、建築家ブルネレスキ、彫刻家ドナテッロあるいは画家マサッチョといったこの時代の先駆者たちの業績に示された透視画法や解剖学の研究成果を手掛りとして、装飾的かつ写実的な絵画表現を意図していた。その意図が完全に実現されたとはいえないが、彼の大胆な試みの事例とされるのが、ベネチアから帰って着手したフレスコ画『洪水』そのほかの連作(1431~50、フィレンツェ、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂)である。この大作の構図および人物像には、それまでに蓄積された彼の手法が端的に示されている。これと前後して『傭兵(ようへい)隊長ジョン・ホークウッド騎馬像』(1436、フィレンツェ大聖堂)を制作するが、大理石騎馬像にかわるものとして、視覚的な効果に苦心の跡をとどめている。ウッチェロの代表作『サン・ロマーノの戦闘図』の三部作(1455~60、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、ルーブル美術館、ウフィツィ美術館)は、前記『洪水』などの大作より5年遅れて着手された。これらの作品では透視画法的に整えられた前景の人馬の細部描写と幻想的な背景が、とくに人目をひくが、この組合せによって超現実的な表現効果が強められている。65年にはウルビーノに赴くが、晩年の『狩猟図』(オックスフォード、アシュモリアン美術館)はそのおりに領主フェデリゴから委嘱された室内装飾の一部とみなされている。この魅力ある画面には人物、動物の的確な描写、透視画法に則した空間表現など優れた成果が示されている。
[濱谷勝也]