陽田村(読み)ようでんむら

日本歴史地名大系 「陽田村」の解説

陽田村
ようでんむら

[現在地名]米子市陽田町・道笑町どうしようまち四丁目

勝田かんだ村の南、北西流する加茂かも川沿岸にあり、東山ひがしやま丘陵南麓に位置する。南は長砂ながすな村。正保国絵図には用伝ようでん村とみえ、正徳元年(一七一一)郷村高辻帳に古くは用田ようでん村と記される。拝領高は五三石余、本免三ツ七分。米子荒尾氏の給地であった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付では生高六一石余、竈数五。「伯耆志」の高六〇石余、林九反余、家数五・人数一七。藪役銀一匁五分を納めていた(藩史)。当村の稲干場は長砂村御建山内にあったが、風通しが悪いため文政一三年(一八三〇)当村内御建山への場所替えを願出、許可された(在方諸事控)加茂川利用の水車は、同川流域では最も規模が大きかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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