改訂新版 世界大百科事典 「隅田氏」の意味・わかりやすい解説
隅田氏 (すだうじ)
平安後期以後,紀伊国伊都郡隅田荘に拠って活躍した武士。隅田荘は10世紀末に石清水八幡宮領として成立し,石清水八幡宮は荘内に隅田八幡宮を創建した。在地豪族の長忠延は1118年(元永1)隅田荘公文職,隅田八幡宮俗別当職に任ぜられ,それらが世襲された。長氏は那賀郡を中心とし,那賀郡司などに就任した古来の豪族であるが,忠延の子忠村以後は藤原氏を称し,さらに鎌倉時代に入って隅田氏を名のり,有力農民を一族に編成,その惣領家となった。この間,鎌倉前期には隅田荘預所職をも獲得して荘園支配を強め,鎌倉後期には北条氏の被官となり,その下で荘内木原・畠田の地頭代に任ぜられ,元弘の乱(1331)のころは六波羅検断として活躍した。1333年(元弘3)六波羅探題の陥落後,隅田氏は近江の番場で探題北条仲時とともに自害し,隅田惣領家は滅亡した。しかし一族には足利尊氏の下で後醍醐天皇方についた者もあり,鎌倉幕府の滅亡後,隅田北荘は隅田一族に安堵された(南荘は高野山領となる)。滅亡した惣領家にかわり,葛原氏,上田氏ら有力庶子家を中心に,隅田八幡宮を氏神とする合議的な一族の結合が生まれ,隅田党と呼ばれた。隅田党は南北朝時代には南朝方となり,室町時代には守護大内氏,畠山氏に属し,のち織田信長に仕えて高野攻めに加わり,ついで豊臣秀吉に従ったが振るわず,江戸時代には紀伊藩主徳川氏の下で,隅田組として地士身分を与えられた。
執筆者:上横手 雅敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報