隅田八幡宮 (すだはちまんぐう)
和歌山県橋本市隅田町に鎮座。現在は隅田八幡神社。祭神は誉田別尊,足仲彦尊,息長足姫尊。神功皇后(息長足姫尊)が皇子の誉田別尊(応神天皇)とともに紀伊日高郡の衣奈浦から大和に赴く途中しばらく滞留した遺跡に,のち八幡宮を勧請したと伝える。平安時代,石清水八幡宮領隅田荘が成立するに伴い,荘の鎮守として石清水八幡宮が勧請されたものと見られ,その後は石清水の別宮としてその支配下にあった。寺人・神人の構成は石清水にならい,別当寺は大高能寺で,別当の下に供僧6人(六坊家)が置かれ,神職として神主以下があった。別に俗別当があり,在地豪族隅田氏をこれに任じた。鎌倉時代以後,隅田氏を中心とする隅田党の氏神として宮座が形成され,氏寺の利生護国寺(現,護国寺)とともに栄え,利生護国寺は鎌倉幕府の祈禱所となった。近世には隅田荘内諸村の産土神として信仰を集めた。所蔵の隅田八幡人物画像鏡は日本最古の金石文の一つとして知られる。
執筆者:上横手 雅敬
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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隅田八幡宮
すだはちまんぐう
和歌山県橋本市に鎮座する神社。9世紀末この地に石清水 (いわしみず) 八幡宮領の隅田荘が設置され,その荘の鎮守神として勧請されたのが始り。その後,別当隅田氏の氏神となった。社宝の隅田八幡画像鏡の銘文は,熊本県船山古墳出土の太刀の銘文とともに,日本最古の金文として有名で国宝。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の隅田八幡宮の言及
【隅田氏】より
…平安後期以後,紀伊国伊都郡[隅田荘]に拠って活躍した武士。隅田荘は10世紀末に石清水八幡宮領として成立し,石清水八幡宮は荘内に隅田八幡宮を創建した。在地豪族の長忠延は1118年(元永1)隅田荘公文職,隅田八幡宮俗別当職に任ぜられ,それらが世襲された。…
【隅田荘】より
…成立当初の免田は20町で,1072年(延久4)の荘園整理の際にも29町の免田が認められたにすぎない。12世紀初めごろ現地に別宮隅田八幡宮が創建され,藤原忠延が俗別当職に補任され,ついで隅田荘の公文職を兼帯して以降,石清水の荘園経営が軌道にのった。さらに12世紀前半~中葉の大伝法院領相賀荘との堺相論を通じて,従来の免田・寄人型の荘園から一円領域的な荘園に発展した。…
※「隅田八幡宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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