隈代渡(読み)くましろのわたし

日本歴史地名大系 「隈代渡」の解説

隈代渡
くましろのわたし

中世にみえる筑後川渡河地。古代の官道は当地よりやや西方の「杜の渡」で渡河しており、一一世紀末の筑後国府の移転に伴い高良こうら山麓を通過する駅路のコースに変化があったとされる(久留米市史)。建治元年(一二七五)一〇月二九日の将軍家政所下文写(高良山文書/鎌倉遺文一六)によれば、文永の役に際して筑前博多へ参陣する南九州の武士らが神代良忠の裁量により「筑後河神代浮橋」を無事に通過したという。同文書は検討の余地があるとされるが、鎌倉後期の成立とされる絹本著色観興寺縁起(京都国立博物館寄託)では当渡にあたる地に川幅一杯に並列する舟の上に板を渡した船橋が描かれており、一三世紀筑後川の重要な渡河地であったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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