日本大百科全書(ニッポニカ) 「隠岐騒動」の意味・わかりやすい解説
隠岐騒動
おきそうどう
1868年(慶応4)3月隠岐(おき)国(島根県隠岐諸島)で起こった松江(まつえ)藩郡代を追放して島民自治を実現した騒動。尊王攘夷(そんのうじょうい)思想をもつ庄屋(しょうや)・神官らの正義党が、3月19日、同島の朝廷直轄領化、藩郡代の退去を要求して、約3000人の農民を結集して蜂起(ほうき)し、郡代を追放した。正義党は、自治機関を設置して他に例をみない島民自治を実現するとともに、政府に直轄領化と攘夷運動を嘆願した。しかし、政府は松江藩に弾圧を命じ、松江藩は5月に兵を派遣して弾圧、自治機関を解体した。このあと正義党は、鳥取藩、長州藩、薩摩(さつま)藩の援助、調停を受けて勢力を回復し、6月には自治機関が再建された(翌69年2月の隠岐県設置まで存続)。この騒動の意義については、島民自治の性格を反封建闘争の勝利とみるか、正義党の尊攘運動とみるかによって、評価の分かれるところである。
[近藤哲生]
『土屋喬雄・小野道雄編著『明治初年農民騒擾録』(1953・勁草書房)』▽『『新修島根県史 通史篇2 近代』(1967・島根県)』